ふる雪はプッチニイが『ボエーム』の曲を思出させる。哥沢節《うたざわぶし》に誰もが知っている『羽織《はおり》かくして』という曲がある。
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羽織かくして、 袖ひきとめて、 どうでもけふは行かんすかと、
言ひつつ立つて櫺子窓《れんじまど》、 障子ほそめに引きあけて、
あれ見やしやんせ、 この雪に。
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わたくしはこの忘れられた前の世の小唄《こうた》を、雪のふる日には、必ず思出して低唱《ていしょう》したいような心持になるのである。この歌詞には一語の無駄もない。その場の切迫した光景と、その時の綿々とした情緒とが、洗練された言語の巧妙なる用法によって、画《え》よりも鮮明に活写されている。どうでも今日は行かんすかの一句と、歌麿《うたまろ》が『青楼年中行事』の一画面とを対照するものは、容易にわたくしの解説に左袒《さたん》するであろう。
わたくしはまた更に為永春水《ためながしゅんすい》の小説『辰巳園《たつみのその》』に、丹次郎《たんじろう》が久しく別れていたその情婦|仇吉《あだきち》を深川のかくれ家《が》にたずね、旧歓をかたり合う中、日はくれて雪が
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