いるが、君の筆はむしろドーデを学ぶに適しているようだ、と忠告されたこともあった。二葉亭《ふたばてい》の『浮雲』や森先生の『雁《がん》』の如く深刻|緻密《ちみつ》に人物の感情性格を解剖する事は到底わたくしの力の能《よ》くする所でない。然るに、幸にも『深川の唄』といい『すみだ川』というが如き小作を公にするに及んで、忽《たちまち》江戸趣味の鼓吹者と目せられ、以後二十余年の今日に至ってなお虚名を贏《か》ち得ている。文壇の僥倖児《ぎょうこうじ》といわれるのは、けだし正宗君の言を俟《ま》つに及ぶまい。
 大正改元の翌年市中に暴動が起った頃から世間では仏蘭西の文物に親しむものを忌《い》む傾きが著しくなった。たしか『国民新聞』の論説記者が僕を指して非国民となしたのもその時分であった。これは帰朝の途上わたくしが土耳古《トルコ》の国旗に敬礼をしたり、西郷隆盛《さいごうたかもり》の銅像を称美しなかった事などに起因したのであろう。しかし静に考察すれば芸術家が土耳古の山河風俗を愛惜する事は、敢て異となすには及ばない。ピエール・ロチは欧洲人が多年土耳古を敵視し絶えずその領土を蚕食《さんしょく》しつつある事を痛嘆し
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