如き池である。井戸は江戸時代にあつては三宅坂側《みやけざかそば》の桜《さくら》ヶ|井《ゐ》も清水谷《しみづだに》の柳《やなぎ》の井《ゐ》、湯島《ゆしま》の天神《てんじん》の御福《おふく》の井《ゐ》の如き、古来江戸名所の中《うち》に数へられたものが多かつたが、東京になつてから全く世人に忘れられ所在の地さへ大抵は不明となつた。
東京市は此《かく》の如く海と河と堀と溝《みぞ》と、仔細《しさい》に観察し来《きた》れば其等幾種類の水――既ち流れ動く水と淀《よど》んで動かぬ死したる水とを有する頗《すこぶる》変化に富んだ都会である。まづ品川の入海《いりうみ》を眺めんにここは目下|猶《なほ》築港の大工事中であれば、将来如何なる光景を呈し来《きた》るや今より予想する事はできない。今日《こんにち》まで吾々が年久しく見馴れて来た品川の海は僅《わづか》に房州通《ぼうしうがよひ》の蒸汽船と円《まる》ツこい達磨船《だるません》を曳動《ひきうごか》す曳船の往来する外《ほか》、東京なる大都会の繁栄とは直接にさしたる関係もない泥海《どろうみ》である。潮《しほ》の引く時|泥土《でいど》は目のとゞく限り引続いて、岸近くに
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