の女房は男と同じやうな身仕度をして立ち働き、其の赤児《あかご》をば捨児《すてご》のやうに砂の上に投出してゐると、其の辺《へん》には痩《や》せた鶏が落ちこぼれた餌をも※[#「求/(餮−殄)」、第4水準2−92−54]《あさ》りつくして、馬の尻から馬糞《ばふん》の落ちるのを待つてゐる。私はこれ等の光景に接すると、必《かならず》北斎或はミレヱを連想して深刻なる絵画的写実の感興を誘《いざな》ひ出され、自《みづか》ら絵事《くわいじ》の心得なき事を悲しむのである。
以上|河流《かりう》と運河の外|猶《なほ》東京の水の美に関しては処々《しよ/\》の下水が落合つて次第に川の如き流《ながれ》をなす溝川《みぞかは》の光景を尋《たづ》ねて見なければならない。東京の溝川《みぞかは》には折々《をり/\》可笑《をか》しい程事実と相違した美しい名がつけられてある。例へば芝愛宕下《しばあたごした》なる青松寺《せいしようじ》の前を流れる下水を昔から桜川《さくらがは》と呼び又|今日《こんにち》では全く埋尽《うづめつく》された神田鍛冶町《かんだかぢちやう》の下水を逢初川《あひそめがは》、橋場総泉寺《はしばそうせんじ》の
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