や、又は子供を背負つた児娘《こむすめ》までが笊《ざる》や籠や桶《をけ》を持つて濁流の中《うち》に入りつ乱れつ富裕な屋敷の池から流れて来る雑魚《ざこ》を捕へやうと急《あせ》つてゐる有様、通りがゝりの橋の上から眺めやると、雨あがりの晴れた空と日光の下《もと》に、或時は却《かへ》つて一種の壮観を呈してゐる事がある。かゝる場合に看取《かんしゆ》せられる壮観は、丁度《ちやうど》軍隊の整列|若《も》しくは舞台に於ける並大名《ならびだいみやう》を見る時と同様で一つ/\に離して見れば極めて平凡なものも集合して一団をなす時には、此処に思ひがけない美麗と威厳とが形造られる。古川橋《ふるかはばし》から眺める大雨《たいう》の後《あと》の貧家の光景の如きも矢張《やはり》此《この》一例であらう。

 江戸城の濠《ほり》は蓋《けだ》し水の美の冠たるもの。然し此の事は叙述の筆を以てするよりも寧《むし》ろ絵画の技《ぎ》を以てするに如《し》くはない。それ故私は唯《たゞ》代官町《だいくわんちやう》の蓮池御門《はすいけごもん》、三宅坂下《みやけざかした》の桜田御門《さくらだごもん》、九段坂下《くだんざかした》の牛《うし》ヶ|淵《ふち》等《とう》古来人の称美する場所の名を挙げるに留《とゞ》めて置く。
 池には古来より不忍池《しのばずのいけ》の勝景ある事これも今更《いまさら》説く必要がない。私は毎年の秋|竹《たけ》の台《だい》に開かれる絵画展覧会を見ての帰り道、いつも市気《しき》満々《まん/\》たる出品の絵画よりも、向《むかう》ヶ|岡《をか》の夕陽《せきやう》敗荷《はいか》の池に反映する天然の絵画に対して杖を留《とゞ》むるを常とした。そして現代美術の品評よりも独り離れて自然の画趣に恍惚とする方が遥《はるか》に平和幸福である事を知るのである。
 不忍池《しのばずのいけ》は今日《こんにち》市中に残された池の中《うち》の最後のものである。江戸の名所に数へられた鏡《かゞみ》ヶ|池《いけ》や姥《うば》ヶ|池《いけ》は今更《いまさら》尋《たづね》る由《よし》もない。浅草寺境内《せんさうじけいだい》の弁天山《べんてんやま》の池も既に町家《まちや》となり、また赤坂の溜池も跡方《あとかた》なく埋《うづ》めつくされた。それによつて私は将来|不忍池《しのばずのいけ》も亦《また》同様の運命に陥りはせぬかと危《あやぶ》むのである。老樹
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