類の僕に対する攻撃の文によって、僕はいい年をしながらカッフェーに出入し給仕女に戯れて得々としているという事にされてしまった。そして相手の給仕女はお民であるという事になった。
 生田さんは新聞紙が僕を筆誅する事日を追うに従っていよいよ急なるを見、カッフェーに出入することは当分見合すがよかろうと注意をしてくれた。僕は生田さんの深切を謝しながら之に答えて、
「新聞で攻撃をされたからカッフェーへは行かないという事になると、つまり新聞に降参したのも同じだ。新聞記者に向って頭を下げるのも同じ事だ。僕はいやでもカッフェーに行く。雨が降ろうが鎗が降ろうが出かけなくてはどうも気がすまない。僕は現代の新聞紙なるものが如何に個人を迫害するものかと言うことを、僕一人の身の上について経験して見るのも一興じゃアないか。僕は日本現代の社会のいかに嫌悪すべきものかと云うことを一ツでも多く実例を挙げて証明する事ができれば、結局僕の勝になるんだ。」と言った。
 すると友達の一人は、「君の態度はまるで西洋十八世紀の社会に反抗したルッソオのようだと言いたいが、然し柄にないことだからまア止した方がいいよ。君はやっぱり江戸文学の
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