はないかと思われるところもあったが、然し祝儀の多寡によって手の裏返して世辞をいうような賤しいところは少しもなかったので、カッフェーの給仕女としてはまず品の好い方だと思われた。
 以上の観察は僕ばかりではない。いつも僕とテーブルを共にした人々の見た所も大抵同じであった。要するに僕等は初対面の人を看る時先入主をなす僻見に捉えられないように自ら戒めている。殊に世人から売笑婦として卑しめられている斯くの如き職業の女に対しては、たとえ品性上の欠点が目に見えても、それには必由来があるだろうと、僕等は同情を以て之を見ようと力《つと》めている。同情は芸術制作の基礎たるのみではない。人生社会の真相を透視する道も亦同情の外はない。観察の公平無私ならんことを希うのあまり、強いて冷静の態度を把持することは、却て臆断の過に陥りやすい。僕等は宗教家でもなければ道徳家でもない。人物を看るに当って必しも善悪邪正の判決を求めるものではない。唯人物を能く看ることが出来れば、それでよいのである。斯くの如き境遇の下に斯くの如き生活が在るという其の真相を窺いたいと冀《ねが》っているに過ぎない。僕等はこれを以て芸術家の本分となし
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