ヾリキ。今ヤ日ニ従テ新陳代謝シ四方ヨリ風ヲ臨ンデ集リ来レルモノ多シ。曾テ都下狭斜ノ巷ニ在テ左褄ヲ取リシモノ亦無シトセズト。予之ヲ聞イテ愕然タリ。其ノ故ハ何ゾヤ。疇昔余ノ風流絃歌ノ巷ニ出入セシ時ノコトヲ回顧スルニ、当時都下ノ絃妓ニハ江戸伝来ノ気風ヲ喜ブモノ猶跡ヲ絶タズ。一旦嬌名ヲ都門ニ馳セシムルヤ気ヲ負フテ自ラ快トナシ縦令悲運ノ境ニ沈淪スルコトアルモ自ラ慚ヂテ待合ノ女中牛肉屋ノ姐サントナリ俗客ノ纏頭ニ依ツテ活ヲ窃ムガ如キモノハ殆一人モ有ルコトナカリキ。今ヤ人心ハ上下雅俗ノ別ナク僅ニ十年ニシテ全ク一変セリ。画人ハ背景ヲ描カンガタメニ俳優ノ鼻息ヲ窺ヒ文士ハ書賈ノ前ニ膝ヲ屈シテ恬然タリ。余ヤ性狷介固陋世ニ処スルノ道ヲ知ラザルコト匹婦ヨリモ甚シ。今宵適カツフヱーノ女給仕人ノ中絃妓ノ後身アルヲ聞キ慨然トシテ悟ル所アリ。乃鉛筆ヲ嘗メテ備忘ノ記ヲ作リ以テ自ラ平生ノ非ヲ戒ムト云。」
 僕が文壇の諸友と平生会談の場所と定めて置いた或カッフェーにお民という女がいた。僕が書肆博文館から版権侵害の談判を受けて青くなっている最中、ふらりと僕の家にたずねて来て難題を提出したのはこのお民である。
 お民が始て僕等の行
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