は空しく退出した。そして三四日の後、山本さんの手から賠償金数千円を支払うことになった。僕が小石川のはずれまでぺこぺこ頭を下げに行ったことも結局何のやくにも立たず、取られるものは矢張取られる事になった。それのみならず金に添えて詫状一札をも取られるという始末である。まだまだその上に博文館では僕を引張り出して飯を食わせたいとの事。然しこれだけは流石の僕も忍びかねて、之を拒絶した。商人から饗応を受けることは昔より廉潔の士の好まざる所である。漂母《ひょうぼ》が一飯の恵と雖一たび之を受ければ恩義を担うことになるからである。
 僕は忍ばねばならぬことは之を忍び、避けねばならぬことは之を避けた。僕としては聊考慮を費したつもりである。拙著の版権問題について賠償金の事を山本さんに一任したのは、累禍を他人に及す事を恐れたが故であった。
 拙著「あめりか物語」の著作権は博文館が主張するが如く、其の専有に帰しているものではない。同書の原稿は明治四十年の冬、僕が仏蘭西にいた時|里昂《リヨン》の下宿から木曜会に宛てて郵送したもので翌年八月僕のまだ帰朝せざるに先立って、既に刊行せられていた。当時木曜会の文士は多く博文館の編輯局に在って、同館発行の雑誌に筆を執っていた関係から、拙著はおのずから博文館より出版せられる事になったのであろう。されば其の際僕の身は猶海外に在ったから拙著の著作権を博文館に与えたという証書に記名捺印すべき筈もなく、又同書出版の際内務省に呈出すべき出版届書に署名した事もないわけである。官庁及出版商に対する其等の手続は思うに当時博文館内に在った木曜会会員中の誰かが之をなしたのでもあろうか。会員の中押川春浪黒田湖山井上唖々梅沢墨水等の諸氏は既にこの世には居ない。拙著「あめりか物語」の著作権が何人の手に専有せられているかは、今日に至るまで未だ曾て法律上には確定せられていないものと見ねばならない。博文館が強いて拙著の著作権専有を主張したいならば、該書出版後今日に至るまで凡二十余年の間に、一応その相談を僕に向ってなすべき筈である。平生之を怠っていながら、一旦同書が現代文学全集中に転載せらるると見るや、奇貨居くべしとなし、俄に版権侵害の賠償を請求するが如きは貪戻《どんれい》言語に絶するものである。それにも係らず黙々として僕は一語をも発せず万事を山本さんに一任して事を済ませたのは、万一博文館が
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