った故でもあろうか。其の由来を審にしない。
お民は談話が興に乗ってくると、「アノあたいが」と言いかけて、笑いながら「わたしが」と言い直すことがある。お民の言葉使には一体にわざとらしいまでに甘ったれた調子が含まれている。二十六の女とは思われぬ程小娘らしい調子があるが、これは左右の糸切歯が抜けていて、声が漏れるためとも思われるし、又職業柄わざと舌ッたるくしているのだとも思われた。話しながら絶えず身体をゆすぶり、一語《ひとこと》一語《ひとこと》に手招ぎするような風に手を動す癖がある。見馴れるに従ってカッフェーの女らしいところはいよいよなくなって、待合か日本料理屋の女中のような気がしてくるのであった。
「お民、お前、どこか末広のような所にいたことはないのか。」と僕等の中の一人がきいた事がある。するとお民は赤坂の或待合に女中をしていたことがあると答えたので僕は心窃に推測の違っていなかった事を誇ったような事もあった。
だんだん心やすくなるにつれて、お民の身の上も大分明かになって来た。お民の兄は始め芸者を引かせて内に入れたが、間もなく死別れて、二度目は田舎から正式に妻を迎え一時神田辺で何か小売商店を営んでいたところ、震災後商売も次第に思わしからず、とうとう店を閉じて郡部へ引移り或会社に雇われるような始末に、お民は兄の家の生計を助けるために始てライオンの給仕女となり、一年ばかり働いている中Sさんとかいう或新聞の記者に思いを掛けられ、其人につれられて大阪の方へ行って半年あまり遊び暮していた。別れて東京に帰ってから二三軒あちこちのカッフェーを歩いた後遂に現在のカッフェーへ出ることになったのだと云う。併し始て尾張町のライオンに雇われた其より以前の事については、お民は語ることを好まないらしく成りたけ之を避けているように見えた。それとなく朋輩の給仕女にきいて見ると、十八九の時嫁に行き一年ばかりで離縁になったのだと言うものもあれば、十五六の時分から或華族のお屋敷に上っていたのだ。それも唯の奉公ではないという者もあった。いずれが真実だかわからない。兎に角僕等二三人の客の見る所、お民は相応に世間の裏表も、男の気心もわかっていて、何事にも気のつく利口な女であった。酒は好《す》きで、酔うと客の前でもタンカを切る様子はまるで芸者のようで。一度男にだまされて、それ以来|自棄《やけ》半分になっているので
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