物の上手といふ諺《ことわざ》文学芸術の道に名をなす秘訣と知るべし。下手の横好きとは訳《わけ》ちがふなり。文芸の道は天賦《てんぷ》の才なくてはかなふべからず、その才なくして我武者羅《がむしゃら》に熱中するは迷ひにして自信とはいひがたかるべし。これ己《おのれ》を知らざる愚の証拠なり。我武者羅に押一手で成功するは唯|地女《じおんな》を口説《くど》き落す時ばかり。黒人《くろうと》にかかつては佐野治郎左衛門《さのじろざえもん》のためしあり。迷はおそろし。
一 文壇の治郎左衛門やはり田舎の人に多きやうなるはわが僻目《ひがめ》か。むやみに大作を携へ来つて月刊雑誌の編輯者を口説き、断られて憤怒《ふんぬ》すといへどもしかも思切れずして金あれば遂に自ら雑誌の経営を思立ち、性《しょう》の悪い文士の喰物となる話珍しからず。
一 女をくどくや先づ小当《こあた》りに当つて見て駄目らしければ退いて様子を窺《うかが》ふ気合《きあい》、これ己を知るものなり。文芸の道また色道に異るなし。およそ物事やつてゐる中《うち》に何といふ事なく自分で自分がわかつて来るものなり。そのわからざるは反省の力乏しきもの成功の見込みなき啻《ただ》に文芸の道においてのみならんや。
一 小説の創作は感情の激動ありて後沈思回想の心境に立戻り得て始めて為《な》さるるものなり。例へば自叙伝の執筆の如きわが身の上をも他人のやうに眺め取扱ふ余裕なくんばいかでか精緻《せいち》深刻なる心理の解剖《かいぼう》を試み得んや。フロマンタンが小説『ドミニック』ゲーテが小説『ウェルテルの愁《うれい》』の如き万世この種の制作の模範となるべきものを熟読して初学者よくよく考ふべきなり。
一 読書思索観察の三事は小説かくものの寸毫《すんごう》も怠りてはならぬものなり。読書と思索とは剣術使の毎日道場にて竹刀《しない》を持つが如く、観察は武者修行に出《い》でて他流試合をなすが如し。読書思索のみに耽りて世の中人間実地の観察を怠るものはやがて古典に捉はれ感情の鋭敏をかくに至るべく、己《おのれ》が才をたのみて実地の観察一点張にて行くものはその人非凡の天才ならぬ限り大抵は行きづまつてしまふものなり。前の二事は草木における肥料に等しく後の一事は五風十雨《ごふうじゅうう》の効《こう》あるもの。肥料多きに過ぎて風に当らざれば植木は虫がつきて腐つてしまふべし。さればこの三つ兼合
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