は叙景なり(対話は人物描写の一端と見るが故にここに言はず)小説中の叙景は常に人物と蜜接の関係を保たしむべし。その巧みなるものはかへつて直接に人物の説明をなすよりも効能ある事あり。アナトール・フランス作中しばしば見る処の学者の書斎庭園等の描写の如し。
一 叙景も外面の形より写さず内面より描く方法を取るべし。ハイカラに言へば絵画的たらんよりも音楽的たるべし。この処|即《すなわち》南画の筆法と見てよし。写生に出でて写生を離るる事なり。
一 写生を離れんと欲すればまづ写生に力《つと》むる事初学者の取るべき道なるべし。小説は万事に渉《わた》りて細心の注意を要するものなれば一人物を描かんとするや、まづその人物の活動すべき場面の中《うち》街路田園|等《とう》写生し得べき処は一応写生して置くがよし。筆にて記さずとも実地に観察して心に記憶すれば足るべし。或小説家|逗子《ずし》の海岸にて男女の相逢ふさまを描くや明月海の彼方《かなた》より浮び出で絵之島《えのしま》おぼろにかすみ渡りてなどと美しき景色をあしらひしに、読巧者《よみごうしゃ》の人これを見て逗子の地形東に山あり西に海ありその彼方より月の出《いづ》る理《り》なし。沈むの誤《あやまり》ならずやと言はれて言句《ごんく》につまりしとの話あり。写生を念頭に置けばかかる誤はおのづとなくなるなり。
一 小説かかんと思はば何がさて置き一日も早く仏蘭西《フランス》語を学びたまへ。但し手ほどきは日本人についてなす事|禁物《きんもつ》なり。暁星《ぎょうせい》学校の夜学にでも行きその国人についてなすべし。何事も手ほどきが肝腎なり。踊三味線などもくだらなき師匠につきて手ほどきしたるものはいやな癖つきその後はいかなる名人の弟子となるとも一度つきたる癖は一生直らぬものなりとぞ。日本人のとかく語学に不得手《ふえて》なるやうにいはるるは中学校にて日本の教師に英語の手ほどきされるがためなるべし。小学中学の恐るべきはこれだけにても知らるるなり。
一 小説家たらんとするもの辞典と首引《くびぴき》にて差支なければ一日も早くアンドレエ・ジイドの小説よむやうにしたまへかし。戦争以来多く新刊の洋書を手にせざれば近頃はいかなる新進作家の現れ出でしやおのれよくは知らねど、まづ新しき小説の模範としてはジイド、レニエーあたりの著作に、新しき戯曲の手本としてはポオル・クローデルあたりの
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