人のもとに至り教を乞ふべし。菓子折なぞは持参するに及ばず。唯草稿を丁寧に清書して教を乞ふ事礼儀の第一と心得べし。小説のことなれば悉《ことごと》く楷書《かいしょ》にて書くにも及ばじ、草行《そうぎょう》の書体を交《まじ》ふるも苦しからねど好加減《いいかげん》の崩《くず》し方《かた》は以ての外《ほか》なり。疑しき所は『草訣弁疑《そうけつべんぎ》』等の書について自《みずか》ら正せ。
一 小説は独創を尚《たっと》ぶものなれば他人の作を読みてそれより思ひつきたる事はまづ避くるがよし。おのれの経験より実地に感じたる事を小説にすべし。腹案成りて後他人の作を参考とするはさして害なからん。
一 小説の価値は篇中人物の描写|如何《いかん》によりて定まる。作者いかほど高遠の理想を抱きたりとて人物の描写|拙《つたな》ければ唯理論のみとなりて小説にはならず。人物の描写は筆先《ふでさき》の仕事にあらず実地の観察と空想の力とありて初めてなさるるものなり。
一 脚色の変化に重《おもき》を置き人物の描写を軽んずるものはいはゆる通俗小説にして小説の高尚なるものにあらず。人物の描写を骨子《こっし》とすれば脚色はおのづからできて来るものなり。
一 人物描写の法一個人の性格生涯をそのままモデルとなす事あり。甲乙丙丁数人の性格を取捨按排《しゅしゃあんばい》してここに特別の人物を作出《つくりだ》す事あり。別に定法《ていほう》なし。唯何事も内面より観察するを必要とす。外面より観察してこれを描写するは易《やす》く内面よりするは難《かた》し。ゾラの小説は人物の描写とかく外部よりする傾《かたむき》を憾《うら》みとす。フローベルが『マダム・ボワリー』。トルストイの『アンナ・カレニナ』。アナトール・フランスの『紅百合《べにゆり》』。オクターブ・ミルボーが『宣教師の叔父』。アンリイ・ド・レニエーが『貴族ブレオーの交遊』なぞいふ作は各《おのおの》作風を異《こと》にすといへどもいづれも主として内面より人物の描写に力《つと》めたる名著なり。
一 ここに人物を主とせざる小説にしてその価値前条述ぶる所のものに劣らざるものあり。即《すなわち》都市|山川《さんせん》寺院の如き非情のものを捉へ来りてこれに人物を配するが如き体《てい》を取れるものあるいは群集一団体の人間を主となしかへつて個人を次となせるが如きものあり。ローダンバックの『廃市ブリ
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