われもない不安と恐怖とを覚えたのは、今よりして之を顧れば、其時代の空気には一味の哀愁が流れていた故でもあろう。この哀愁は迷信から起る恐怖と共に、世の革《あらたま》るにつれて今や全く湮滅し尽したものである。わたくし等が少年の頃には風の音鐘の響犬の声按摩の笛などが無限の哀愁を覚えさせたばかりではない。夜の闇と静寂とさえもが直に言い知れぬ恐怖の泉となった。之に反して、昭和当代の少年の夢を襲うものは抑《そもそ》も何であろう。民衆主義の悪影響を受けた彼等の胸中には恐怖畏懼の念は影をだも留めず、夢寐の間にも猶忘れざるものは競争売名の一事のみである。聞くところによれば現代の小学生は小遣銭を運動費となして、級長選挙の事に狂奔することを善事となしているというではないか。
 市中行賈の中、恰も雁の去る時燕の来るが如く、節序に従って去来するものは、今の世に在っても往々にして人の詩興を動かす。遅桜もまだ散り尽さぬ頃から聞えはじめる苗売の声の如き、人はまだ袷をもぬがぬ中早くも秋を知らせる虫売の如き、其他風鈴売、葱売、稗蒔売、朝顔売の如き、いずれか俳諧中の景物にあらざるはない。正月に初夢の宝船を売る声は既に聞かれ
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