繕しつつ使用していたような醇朴な風習が今は既に蕩然として後を断ったのも此の一事によって推知せられる。
明治三十年の春明治座で、先代の左団次が鋳掛松を演じた時、鋳掛屋の呼び歩く声を真似《まね》するのが至難であったので、まことの鋳掛屋を招いて書割の後から呼ばせたとか云う話を聞いたことがあった。
わが呱々の声を揚げた礫川の僻地は、わたくしの身に取っては何かにつけてなつかしい追憶の郷《さと》である。むかしのままなる姿をなした雪駄直しや鳥さしなどを目撃したのも、是皆金剛寺坂のほとりに在った旧宅の門外であった。雪駄直しは饅頭形の籐笠をかぶり其の紐を顎《あご》にかけて結んでいたので顔は見えず、笠の下から顎《あご》の先ばかりが突出ているのが何となく気味悪く見られた。着物の裾を※[#「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《から》げて浅葱の股引をはき、筒袖の絆纏に、手甲《てっこう》をかけ、履物は草鞋をはかず草履か雪駄かをはいていた。道具を入れた笊《ざる》を肩先から巾広《はばひろ》の真田《さなだ》の紐で、小脇に提《さ》げ、デーイデーイと押し出すような太い声。それをば曇った日の暮方ちかい頃
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