いていない。之に由って観れば、支那そばやが唐人笛を吹いて歩くようになったのは明治四十年より後であろう歟《か》。
支那蕎麦屋の夜陰に吹き鳴す唐人笛には人の心を動す一種の哀音がある。曾て場末の町の昼下りに飴を売るものの吹き歩いたチャルメラの音色にも同じような哀愁があったが、これはいつか聞かれなくなった。按摩の笛の音も色町を除くの外近年は全く絶えたようである。されば之に代って昭和時代の東京市中に哀愁脉々たる夜曲を奏するもの、唯南京蕎麦売の簫《ふえ》があるばかりとなった。
新内語りを始め其他の街上の芸人についてはここに言わない。
その日その日に忘れられて行く市井の事物を傍観して、走馬燈でも見るような興味を催すのは、都会に生れたものの通有する性癖であろう。されば古老の随筆にして行賈の風俗を記載せざるものは稀であるが、その中に就いて、曳尾庵がわが衣の如き、小川顕道が塵塚談の如きは、今猶好事家必読の書目中に数えられている。是亦わたくしの贅するに及ばぬことであろう。
[#地から1字上げ]昭和二年十一月記
底本:「日和下駄 一名 東京散策記」講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年10月10日第1刷発行
2006(平成18)年1月5日第7刷発行
底本の親本:「荷風全集 第十三巻」岩波書店
1963(昭和38)年2月
「荷風全集 第十六巻」岩波書店
1964(昭和39)年1月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2010年1月26日作成
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