繕しつつ使用していたような醇朴な風習が今は既に蕩然として後を断ったのも此の一事によって推知せられる。
明治三十年の春明治座で、先代の左団次が鋳掛松を演じた時、鋳掛屋の呼び歩く声を真似《まね》するのが至難であったので、まことの鋳掛屋を招いて書割の後から呼ばせたとか云う話を聞いたことがあった。
わが呱々の声を揚げた礫川の僻地は、わたくしの身に取っては何かにつけてなつかしい追憶の郷《さと》である。むかしのままなる姿をなした雪駄直しや鳥さしなどを目撃したのも、是皆金剛寺坂のほとりに在った旧宅の門外であった。雪駄直しは饅頭形の籐笠をかぶり其の紐を顎《あご》にかけて結んでいたので顔は見えず、笠の下から顎《あご》の先ばかりが突出ているのが何となく気味悪く見られた。着物の裾を※[#「塞」の「土」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《から》げて浅葱の股引をはき、筒袖の絆纏に、手甲《てっこう》をかけ、履物は草鞋をはかず草履か雪駄かをはいていた。道具を入れた笊《ざる》を肩先から巾広《はばひろ》の真田《さなだ》の紐で、小脇に提《さ》げ、デーイデーイと押し出すような太い声。それをば曇った日の暮方ちかい頃なぞに聞くと、何とも知れず気味のわるい心持がしたものである。
鳥さしの姿を見るのもその頃は人のいやがったものである。鳥さしは菅笠をかぶり、手甲脚絆がけで、草鞋をはき、腰に獲物を入れる籠を提げ、継竿になった長い黐竿《もちざお》を携え、路地といわず、人家の裏手といわず、どこへでも入り込んで物陰に身を潜め、雀の鳴声に似せた笛を吹きならし、雀を捕えて去るのである。
鳥さしは維新以前には雀を捕えて、幕府の飼養する鷹の脚を暖めさせるために、之を鷹匠の許へ持ち行くことを家の業となしていたのであるが、いつからともなく民間の風聞を探索して歩く「隠密《おんみつ》」であるとの噂が専らとなったので、江戸の町人は鳥さしの姿を見れば必不安の思をなしたというはなしである。わたくしが折々小石川の門巷を徘徊する鳥さしの姿を目にした時は、明治の世も既に十四五年を過ぎてはいたが、人は猶既往の風聞を説いて之を恐れ厭っていた。今の世に在っては、鳥さしはおろか、犬殺しや猫の皮剥ぎよりも更に残忍なる徒輩が徘徊するのを見ても、誰一人之を目して不祥の兆となすものがあろう。わたくし等が行燈の下に古老の伝説を聞き、其の人と同じようにい
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