る。和漢書籍の事につきて質問すればなまなかの学者の言ふ事よりも間違なく若輩の我等学ぶ処多し。但し浅倉の本は他の店より二割方高し。高いだけに品物はたしかなりと云ふ咄なり。
一、近来古書の珍しきもの大抵好事家の手に入りて出でず。古本屋は品物払底にてたま/\少しめづらしきものを得れば驚くばかりの値段をつける。然しそれにても忽ち売れてしまふ故相場は日に日に上るばかりなり。
一、維新前の和本のみならず近頃は明治三十年頃までの活版本翻刻本も追々高くなり出したり。丸善出版の近松浄瑠璃西鶴浮世草紙の類又は温知叢書百万塔の如き叢書類、雑誌にては江戸会誌、旧幕府、歌舞伎新報、風俗画報(初号当時のもの)春陽堂の美術世界なぞ立派に古書珍本の中に数へらるゝなり。
一、芝公園裏赤羽根橋手前に仏書経典のみ売る古本屋あり。芝日陰町にもあり。共に名を忘れたれど時折には仏書の外に珍しきものもある由聞きぬ。
一、神田淡路町の好古堂今は浮世絵専門なれど元は書舗なりし故今に品物なか/\あり。主人書画絵本の鑑定には明けれど俳書雑著の類は眼中に置かずと見え折々格外の安値にお客を喜ばす事ありと云ふ。
一、古本屋も場所によりて自ら品物を異にす。和本唐本の類は下谷本郷辺に多く神田には村口山本二軒のみにして他は電車通の両側御覧の通り西洋本又当世の新版書類ばかりなり。本郷通には和洋相交りたり。赤門近き処に洋書の珍しきもの持ちたる店一軒あり大学教授の家なぞより引出し来るものならんか。先日或人のはなしに耶蘇の伝記にもぢりたるフランス語の春本及旧約聖書の体裁になぞらへし此れも仏蘭西語の春本ありし由。
一、牛込神楽坂上のさる古本屋には伊仏の新刊書時々ありダンヌンチオが散文集(伊語)アダネグリ女史の詩集「母の心」(同じく伊語)なぞ有りしを見たり。
一、西洋出版の美術雑誌名画集の類は購ふ人多きにや神田本郷始めいづこの古本屋にも沢山あり。
一、江戸時代の読本は馬琴の八犬伝弓張月をはじめとして今も猶得るに難からず。然るに紅葉露伴等の小説は僅二十余年程前の出版なるに早くも湮滅して尋ねんやうなし。一体近頃の出版物は凡て出版の当時にのみ限りて数年を経れば忽ち散逸して古本屋の手にも残らぬなり。何処へ行きてしまふものなるや。或人のはなしによれば当今の出版物は古本にしても売買するほどの値段にならぬ故紙屑になし原の製紙原料にしてしまふなりと。或は然ら
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