サするものたる事は誰《た》が眼にも直ちに想像される事である。然らばこの問題を逆にして試《こころみ》に東京の外観が遠からずして全く改革された暁《あかつき》には、如何なる方面、如何なる隠れた処に、旧日本の旧態が残されるかを想像して見るのも、皮肉な観察者には興味のないことではあるまい。実例は帝国劇場の建築だけが純西洋風に出来上りながら、いつの間にかその大理石の柱のかげには旧芝居の名《なご》残りなる簪屋《かんざしや》だの飲食店などが発生繁殖して、遂に厳粛なる劇場の体面を保たせないようにしてしまった。銀座の商店の改良と銀座の街の敷石とは、将来如何なる進化の道によって、浴衣《ゆかた》に兵児帯《へこおび》をしめた夕凉《ゆうすずみ》の人の姿と、唐傘《からかさ》に高足駄《たかあしだ》を穿《は》いた通行人との調和を取るに至るであろうか。交詢社《こうじゅんしゃ》の広間に行くと、希臘風《ギリシヤふう》の人物を描いた「|神の森《ポアサクレエ》」の壁画の下《もと》に、五《いつ》ツ紋《もん》の紳士や替《かわ》り地《じ》のフロックコオトを着た紳士が幾組となく対座して、囲碁仙集《いごせんしゅう》をやっている。高い金箔《きんぱく》の天井にパチリパチリと響き渡る碁石の音は、廊下を隔てた向うの室《へや》から聞えて来る玉突のキュウの音に交《まじ》わる。初めてこの光景に接した時自分は無論いうべからざる奇異なる感に打たれた。そしてこの奇異なる感は、如何なる理由によって呼起されたかを深く考え味わねばならなかった。数寄《すき》を凝《こら》した純江戸式の料理屋の小座敷には、活版屋の仕事場と同じように白い笠のついた電燈が天井からぶらさがっているばかりか遂には電気仕掛けの扇風器までが輸入された。要するに現代の生活においては凡《すべ》ての固有純粋なるものは、東西の差別なく、互に噛み合い壊し合いしているのである。異人種間の混血児は特別なる注意の下に養育されない限り、その性情は概して両人種の欠点のみを遺伝するものだというが、日本現代の生活は正《まさ》しくかくの如きものであろう。
銀座界隈はいうまでもなく日本中で最もハイカラな場所であるが、しかしここに一層皮肉な贅沢屋があって、もし西洋そのままの西洋料理を味おうとしたなら銀座界隈の如何なる西洋料理屋もその目的には不適当なる事を発見するであろう。銀座の文明と横浜のホテルとの間には
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