フ》ずと遠い嵐のように軟《やわら》げられてしまうこの家《や》の茶室に、自分は折曲げて坐る足の痛さをも厭《いと》わず、幾度《いくたび》か湯のたぎる茶釜の調《しらべ》を聞きながら礼儀のない現代に対する反感を休めさせた。
建込《たてこ》んだ表通りの人家に遮《さえ》ぎられて、すぐ真向《まむかい》に立っている彼《か》の高い本願寺の屋根さえ、何処《どこ》にあるのか分らぬような静なこの辺《へん》の裏通には、正しい人たちの決して案内知らぬ横町《よこちょう》が幾筋もある。こういう横町の二階の欄干から、自分は或る雨上りの夏の夜《よ》に通り過る新内《しんない》を呼び止めて酔月情話《すいげつじょうわ》を語らせて喜んだ事がある。また梅が散る春寒《はるさむ》の昼過ぎ、摺硝子《すりガラス》の障子《しょうじ》を閉めきった座敷の中《なか》は黄昏《たそがれ》のように薄暗く、老妓ばかりが寄集った一中節《いっちゅうぶし》のさらいの会に、自分は光沢《つや》のない古びた音調に、ともすれば疲れがちなる哀傷を味った事もあった。
しかしまた自分の不幸なるコスモポリチズムは、自分をしてそのヴェランダの外《そと》なる植込の間から、水蒸気の多い暖な冬の夜《よ》などは、夜《よる》の水と夜の月島《つきしま》と夜の船の影とが殊更美しく見えるメトロポオル・ホテルの食堂をも忘れさせない。世界の如何《いか》なる片隅をも我家《わがや》のように楽しく談笑している外国人の中に交って、自分ばかりは唯独り心淋しく傾けるキァンチの一壜《ひとびん》に年を追うて漸く消えかかる遠い国の思出を呼び戻す事もあった。
銀座界隈には何という事なく凡《すべ》ての新しいものと古いものとがある。一国の首都がその権勢と富貴《ふうき》とに自《おのず》から蒐集《しゅうしゅう》する凡ての物は、皆ここに陳列せられてある。われわれは新しい流行の帽子を買うためにも、遠い国から来た葡萄酒を買うためにも、無論この銀座へ来ねばならぬが、それと同時に、有楽座などで聞く事を好まない「昔」の歌をば、なりたけ「昔」らしい周囲の中《うち》に聞き味おうとすればやはりこの辺《へん》の特種な限られた場所を択ばなければならない。
自分は折々|天下堂《てんがどう》の三階の屋根裏に上《あが》って都会の眺望を楽しんだ。山崎洋服店の裁縫師でもなく、天賞堂《てんしょうどう》の店員でもないわれわれが、銀
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