ュれるのも、成程無理ではない。彼等は最初より日本を公園として其の綺麗な方面のみを見やうとしてゐるのである。複雑なる内地の事情に接近する事を必要としてゐないのである。然し彼等ならざる吾々は、此れに反していかに見まい聞くまいとしても、自然と見え聞える国民生活の物音に対して街道のほとりに立つ猿の彫刻のやうに耳と目と口とを閉《ふさ》いでゐる事は出来ない。自分は美しい祖国の風景を海の上から、乃《すなは》ち其の外側から眺めるにつけて、其の内側に潜んでゐる日本現代の生活と日本人の性情とがいかに甚しく日本的風景と其の趣きを異《こと》にしてゐるかに一驚せざるを得ない。試みに旅から帰つて来て、乃ち日本の風景の懐中《ふところ》から去つて東京の市街を歩んで見よ。新しい日本人が経営する新しい都会の生活には、日本の江湾と山岳とによつて印象されるやうな、可憐美麗真実なる何物が見出《みいだ》されるであらうか。自分は工業と商業の余儀ない外観を云々《うんぬん》するのではない。個人として国民としての内的生活に於て、現代日本人の心情は余りに、富士山の姿と天の橋立の趣きから遠ざかり過ぎてゐる事を自分は不思議に感ずるのである。国民と国土の風景とが何等の関係もなく余りに別々である事を不審に思ふのである。

     六

 汽船は海上四日の後《のち》横浜に着いた。
 自分は海岸通りのホテルに茶菓《さくわ》を味《あぢは》つた後《のち》、汽車で東京に帰つた。人家の屋根の上には梅毒の広告が突立《つつた》つてゐる大きな都会。電車の停留する四辻では噛み付くやうな声で新聞の売子が、「紳士富豪の秘密を暴《あば》きました………。」と叫んでゐる恐しい都会。長い竹竿を振り廻して子供が往来の通行を危険にしてゐる乱雑な都会。市民と市吏と警察吏とが豹変常なき新聞記者を中間にして相互の欠点を狙ひ合つてゐる気味悪い都会。その片隅に嗚呼《あゝ》自分の家《いへ》がある。
[#地から1字上げ]明治四十四年九月



底本:「日本の名随筆 別巻51 異国」作品社
   1995(平成7)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「荷風全集 第一三巻」岩波書店
   1963(昭和38)年2月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月
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