その頃《ころ》に東京を去り六年ぶりに帰ってきた。東京市中の街路は到《いた》る処旧観を失っていた。以前木造であった永代《えいたい》と両国《りょうごく》との二橋は鉄のつり橋にかえられたのみならず橋の位置も変りまたその両岸の街路も著しく変っていた。明治四十一、二年のころ隅田川《すみだがわ》に架せられた橋梁《きょうりょう》の中でむかしのままに木づくりの姿をとどめたものは新大橋《しんおおはし》と千住《せんじゅ》の大橋ばかりであった。わたくしは洋行以前二十四、五歳の頃に見歩いた東京の町々とその時代の生活とを言知れずなつかしく思返して、この心持を表《あらわ》すために一篇の小説をつくろうと思立った。この事はつぶさに旧版『すみだ川』第五版の序に述べてある。
旧版発行の次第は左の如くである。
明治四十四年三月|籾山《もみやま》書店は『すみだ川』の外《ほか》にその頃わたくしが『三田《みた》文学』に掲げた数篇の短篇小説|及《および》戯曲を集め一巻となして刊行した。当時籾山書店は祝橋向《いわいばしむこう》の河岸通《かしどおり》から築地《つきじ》の電車通へ出ようとする静《しずか》な横町《よこちょう》の南側(築地二丁目十五番地)にあって専《もっぱ》ら俳諧《はいかい》の書巻を刊行していたのであるが拙著『すみだ川』の出版を手初めに以後六、七年の間|盛《さかん》に小説及び文芸の書類を刊行した。書店の主人みずからもまた短篇小説集『遅日』を著《あらわ》した。谷崎《たにざき》君の名著『刺青《しせい》』が始めて単行本となって世に公《おおやけ》にせられたのも籾山書店からであった。森鴎外《もりおうがい》先生が『スバル』その他の雑誌に寄せられた名著の大半もまた籾山書店から刊行せられた。
大正五年四月籾山書店は旧版『すみだ川』を改刻しこれを縮刷本《しゅくさつぼん》『荷風|叢書《そうしょ》』の第五巻となし装幀《そうてい》の意匠を橋口五葉《はしぐちごよう》氏に依頼した。
大正九年五月|春陽堂《しゅんようどう》が『荷風全集』第四巻を編輯刊行する時『すみだ川』を巻頭に掲げた。この際わたくしは旧著の辞句を訂正した。
大正十年三月春陽堂が拙作小説『歓楽《かんらく》』を巻首に置きこれを表題にして単行本を出した時再び『すみだ川』をその中に加えた。
昭和二年九月|改造社《かいぞうしゃ》が『現代日本文学全集』を編輯した時その第二十二編の中に『すみだ川』を採録した。
昭和二年七月春陽堂の編輯した『明治大正文学全集』第三十一編にも『すみだ川』が載せられている。
昭和三年二月|木村富子《きむらとみこ》女史が拙著『すみだ川』を潤色《じゅんしょく》して戯曲となしこれを本郷座《ほんごうざ》の舞台に上《のぼ》した。その時重なる人物に扮《ふん》した俳優は市川寿美蔵《いちかわすみぞう》市川松蔦《いちかわしょうちょう》大谷友右衛門《おおたにともえもん》市川紅若《いちかわこうじゃく》その他である。木村女史の戯曲『すみだ川』はその著『銀扇集《ぎんせんしゅう》』に収められている。
昭和十年十月|麻布《あざぶ》の廬において
[#地から3字上げ]荷風|散人《さんじん》識《しるす》
底本:「すみだ川・新橋夜話 他一篇」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
2005(平成17)年11月25日第23刷発行
底本の親本:「荷風小説 三」岩波書店
1986(昭和61)年7月発行
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2009年12月20日作成
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