ともと芸人社会は大好《だいすき》な趣味性から、お豊の偏屈《へんくつ》な思想をば攻撃したいと心では思うもののそんな事からまたしても長たらしく「先祖の位牌」を論じ出されては堪《たま》らないと危《あやぶ》むので、宗匠《そうしょう》は先《ま》ずその場を円滑《えんかつ》に、お豊を安心させるようにと話をまとめかけた。
「とにかく一応は私《わし》が意見しますよ、若い中《うち》は迷うだけにかえって始末のいいものさ。今夜にでも明日《あした》にでも長吉に遊びに来るようにいって置きなさい。私《わし》がきっと改心さして見せるから、まアそんなに心配しないがいいよ。なに世の中は案じるより産《う》むが安いさ。」
お豊は何分よろしくと頼んでお滝が引止めるのを辞退してその家を出た。春の夕陽《ゆうひ》は赤々と吾妻橋《あずまばし》の向うに傾いて、花見帰りの混雑を一層引立てて見せる。その中《うち》にお豊は殊更元気よく歩いて行く金ボタンの学生を見ると、それが果して大学校の生徒であるか否かは分らぬながら、我児《わがこ》もあのような立派な学生に仕立てたいばかりに、幾年間女の身一人《みひとつ》で生活と戦って来たが、今は生命《いのち》に等しい希望の光も全く消えてしまったのかと思うと実に堪えられぬ悲愁に襲われる。兄の蘿月に依頼しては見たもののやっぱり安心が出来ない。なにも昔の道楽者だからという訳ではない。長吉に志を立てさせるのは到底|人間業《にんげんわざ》では及《およば》ぬ事、神仏《かみほとけ》の力に頼らねばならぬと思い出した。お豊は乗って来た車から急に雷門《かみなりもん》で下りた。仲店《なかみせ》の雑沓《ざっとう》をも今では少しも恐れずに観音堂へと急いで、祈願を凝《こら》した後に、お神籤《みくじ》を引いて見た。古びた紙片《かみきれ》に木版摺《もくはんずり》で、
[#お神籤の図(fig50556_01.png)入る]
お豊は大吉《だいきち》という文字を見て安心はしたものの、大吉はかえって凶《きょう》に返りやすい事を思い出して、またもや自分からさまざまな恐怖を造出《つくりだ》しつつ、非常に疲れて家《うち》へ帰った。
九
午後《ひるすぎ》から亀井戸《かめいど》の竜眼寺《りゅうがんじ》の書院で俳諧《はいかい》の運座《うんざ》があるというので、蘿月《らげつ》はその日の午前に訪ねて来た長吉と茶漬《ちゃづけ》をすました後《のち》、小梅《こうめ》の住居《すまい》から押上《おしあげ》の堀割《ほりわり》を柳島《やなぎしま》の方へと連れだって話しながら歩いた。堀割は丁度真昼の引汐《ひきしお》で真黒《まっくろ》な汚ない泥土《でいど》の底を見せている上に、四月の暖い日光に照付けられて、溝泥《どぶどろ》の臭気を盛《さかん》に発散している。何処《どこ》からともなく煤烟《ばいえん》の煤《すす》が飛んで来て、何処という事なしに製造場《せいぞうば》の機械の音が聞える。道端《みちばた》の人家は道よりも一段低い地面に建てられてあるので、春の日の光を外《よそ》に女房共がせっせと内職している薄暗い家内《かない》のさまが、通りながらにすっかりと見透《みとお》される。そういう小家《こいえ》の曲り角の汚れた板目《はめ》には売薬と易占《うらない》の広告に交《まじ》って至る処《ところ》女工募集の貼紙《はりがみ》が目についた。しかし間もなくこの陰鬱《いんうつ》な往来《おうらい》は迂曲《うね》りながらに少しく爪先上《つまさきあが》りになって行くかと思うと、片側に赤く塗った妙見寺《みょうけんじ》の塀と、それに対して心持よく洗いざらした料理屋|橋本《はしもと》の板塀《いたべい》のために突然面目を一変させた。貧しい本所《ほんじょ》の一区が此処《ここ》に尽きて板橋のかかった川向うには野草《のぐさ》に蔽《おお》われた土手を越して、亀井戸村《かめいどむら》の畠と木立《こだち》とが美しい田園の春景色をひろげて見せた。蘿月は踏み止《とどま》って、
「私《わし》の行くお寺はすぐ向うの川端《かわばた》さ、松の木のそばに屋根が見えるだろう。」
「じゃ、伯父さん。ここで失礼しましょう。」長吉は早くも帽子を取る。
「いそぐんじゃない。咽喉《のど》が乾いたから、まア長吉、ちょっと休んで行こうよ。」
赤く塗った板塀に沿うて、妙見寺の門前に葭簀《よしず》を張った休茶屋《やすみぢゃや》へと、蘿月は先に腰を下《おろ》した。一直線の堀割はここも同じように引汐の汚い水底《みなそこ》を見せていたが、遠くの畠の方から吹いて来る風はいかにも爽《さわや》かで、天神様の鳥居が見える向うの堤の上には柳の若芽が美しく閃《ひらめ》いているし、すぐ後《うしろ》の寺の門の屋根には雀《すずめ》と燕《つばめ》が絶え間なく囀《さえず》っているので、其処《そこ》此処《ここ》に製造場の烟出《けむだ》しが幾本も立っているにかかわらず、市街《まち》からは遠い春の午後《ひるすぎ》の長閉《のどけ》さは充分に心持よく味《あじわ》われた。蘿月は暫《しばら》くあたりを眺めた後《のち》、それとなく長吉の顔をのぞくようにして、
「さっきの話は承知してくれたろうな。」
長吉は丁度茶を飲みかけた処なので、頷付《うなず》いたまま、口に出して返事はしなかった。
「とにかくもう一年|辛抱《しんぼう》しなさい。今の学校さえ卒業しちまえば……母親《おふくろ》だって段々取る年だ、そう頑固ばかりもいやアしまいから。」
長吉は唯《た》だ首を頷付かせて、何処《どこ》と当《あて》もなしに遠くを眺めていた。引汐の堀割に繋《つな》いだ土船《つちぶね》からは人足《にんそく》が二、三人して堤の向うの製造場へと頻《しきり》に土を運んでいる。人通りといっては一人もない此方《こなた》の岸をば、意外にも突然二台の人力車《じんりきしゃ》が天神橋の方から駈《か》けて来て、二人の休んでいる寺の門前《もんぜん》で止った。大方《おおかた》墓参りに来たのであろう。町家《ちょうか》の内儀《ないぎ》らしい丸髷《まるまげ》の女が七《なな》、八《やっ》ツになる娘の手を引いて門の内《なか》へ這入《はい》って行った。
長吉は蘿月の伯父と橋の上で別れた。別れる時に蘿月は再び心配そうに、
「じゃ……。」といって暫く黙った後《のち》、「いやだろうけれど当分辛抱しなさい。親孝行して置けば悪い報《むくい》はないよ。」
長吉は帽子を取って軽く礼をしたがそのまま、駈《か》けるように早足《はやあし》に元《もと》来た押上《おしあげ》の方へ歩いて行った。同時に蘿月の姿は雑草の若芽に蔽《おお》われた川向うの土手の陰にかくれた。蘿月は六十に近いこの年まで今日《きょう》ほど困った事、辛《つら》い感情に迫《せ》められた事はないと思ったのである。妹お豊のたのみも無理ではない。同時に長吉が芝居道《しばいどう》へ這入《はい》ろうという希望《のぞみ》もまたわるいとは思われない。一寸の虫にも五分の魂で、人にはそれぞれの気質がある。よかれあしかれ、物事を無理に強《し》いるのはよくないと思っているので、蘿月は両方から板ばさみになるばかりで、いずれにとも賛同する事ができないのだ。殊《こと》に自分が過去の経歴を回想すれば、蘿月は長吉の心の中《うち》は問わずとも底の底まで明《あきら》かに推察される。若い頃の自分には親《おや》代々《だいだい》の薄暗い質屋の店先に坐って麗《うらら》かな春の日を外《よそ》に働きくらすのが、いかに辛くいかに情《なさけ》なかったであろう。陰気な燈火《ともしび》の下で大福帳《だいふくちょう》へ出入《でいり》の金高《きんだか》を書き入れるよりも、川添いの明《あかる》い二階家で洒落本《しゃれほん》を読む方がいかに面白かったであろう。長吉は髯《ひげ》を生《はや》した堅苦しい勤め人《にん》などになるよりも、自分の好きな遊芸で世を渡りたいという。それも一生、これも一生である。しかし蘿月は今よんどころなく意見役の地位に立つ限り、そこまでに自己の感想を暴露《ばくろ》してしまうわけには行かないので、その母親に対したと同じような、その場かぎりの気安めをいって置くより仕様がなかった。
長吉は何処《いずこ》も同じような貧しい本所《ほんじょ》の街から街をばてくてく歩いた。近道を取って一直線に今戸《いまど》の家《うち》へ帰ろうと思うのでもない。何処《どこ》へか廻り道して遊んで帰ろうと考えるのでもない。長吉は全く絶望してしまった。長吉は役者になりたい自分の主意を通すには、同情の深い小梅《こうめ》の伯父さんに頼るより外《ほか》に道がない。伯父さんはきっと自分を助けてくれるに違いないと予期していたが、その希望は全く自分を欺《あざむ》いた。伯父は母親のように正面から烈《はげ》しく反対を称《とな》えはしなかったけれど、聞いて極楽見て地獄の譬《たとえ》を引き、劇道《げきどう》の成功の困難、舞台の生活の苦痛、芸人社会の交際の煩瑣《はんさ》な事なぞを長々と語った後《のち》、母親の心をも推察してやるようにと、伯父の忠告を待たずともよく解《わか》っている事を述べつづけたのであった。長吉は人間というものは年を取ると、若い時分に経験した若いものしか知らない煩悶《はんもん》不安をばけろり[#「けろり」に傍点]と忘れてしまって、次の時代に生れて来る若いものの身の上を極めて無頓着《むとんちゃく》に訓戒批評する事のできる便利な性質を持っているものだ、年を取ったものと若いものの間には到底一致されない懸隔《けんかく》のある事をつくづく感じた。
何処《どこ》まで歩いて行っても道は狭くて土が黒く湿っていて、大方は路地《ろじ》のように行き止りかと危《あやぶ》まれるほど曲っている。苔《こけ》の生えた鱗葺《こけらぶ》きの屋根、腐った土台、傾いた柱、汚れた板目《はめ》、干してある襤褸《ぼろ》や襁褓《おしめ》や、並べてある駄菓子や荒物《あらもの》など、陰鬱《いんうつ》な小家《こいえ》は不規則に限りもなく引きつづいて、その間に時々驚くほど大きな門構《もんがまえ》の見えるのは尽《ことごと》く製造場であった。瓦《かわら》屋根の高く聳《そび》えているのは古寺《ふるでら》であった。古寺は大概荒れ果てて、破れた塀から裏手の乱塔場《らんとうば》がすっかり見える。束《たば》になって倒れた卒塔婆《そとば》と共に青苔《あおごけ》の斑点《しみ》に蔽《おお》われた墓石《はかいし》は、岸という限界さえ崩《くず》れてしまった水溜《みずたま》りのような古池の中へ、幾個《いくつ》となくのめり込んでいる。無論新しい手向《たむけ》の花なぞは一つも見えない。古池には早くも昼中《ひるなか》に蛙《かわず》の声が聞えて、去年のままなる枯草は水にひたされて腐《くさ》っている。
長吉はふと近所の家の表札に中郷竹町《なかのごうたけちょう》と書いた町の名を読んだ。そして直様《すぐさま》、この頃《ごろ》に愛読した為永春水《ためながしゅんすい》の『梅暦《うめごよみ》』を思出した。ああ、薄命なあの恋人たちはこんな気味のわるい湿地《しっち》の街に住んでいたのか。見れば物語の挿絵《さしえ》に似た竹垣の家もある。垣根の竹は枯れきってその根元は虫に喰われて押せば倒れそうに思われる。潜門《くぐりもん》の板屋根には痩《や》せた柳が辛《から》くも若芽の緑をつけた枝を垂《たら》している。冬の昼過ぎ窃《ひそ》かに米八《よねはち》が病気の丹次郎《たんじろう》をおとずれたのもかかる佗住居《わびずまい》の戸口《とぐち》であったろう。半次郎《はんじろう》が雨の夜《よ》の怪談に始めてお糸《いと》の手を取ったのもやはりかかる家の一間《ひとま》であったろう。長吉は何ともいえぬ恍惚《こうこつ》と悲哀とを感じた。あの甘くして柔かく、忽《たちま》ちにして冷淡な無頓着《むとんちゃく》な運命の手に弄《もてあそ》ばれたい、という止《や》みがたい空想に駆られた。空想の翼のひろがるだけ、春の青空が以前よりも青く広く目に映じる。遠くの方から飴売《あめうり》の朝鮮笛《ちょうせんぶえ》が響き出した。笛の音《ね》は思いがけない処で、妙な
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