になりたい自分の主意を通すには、同情の深い小梅《こうめ》の伯父さんに頼るより外《ほか》に道がない。伯父さんはきっと自分を助けてくれるに違いないと予期していたが、その希望は全く自分を欺《あざむ》いた。伯父は母親のように正面から烈《はげ》しく反対を称《とな》えはしなかったけれど、聞いて極楽見て地獄の譬《たとえ》を引き、劇道《げきどう》の成功の困難、舞台の生活の苦痛、芸人社会の交際の煩瑣《はんさ》な事なぞを長々と語った後《のち》、母親の心をも推察してやるようにと、伯父の忠告を待たずともよく解《わか》っている事を述べつづけたのであった。長吉は人間というものは年を取ると、若い時分に経験した若いものしか知らない煩悶《はんもん》不安をばけろり[#「けろり」に傍点]と忘れてしまって、次の時代に生れて来る若いものの身の上を極めて無頓着《むとんちゃく》に訓戒批評する事のできる便利な性質を持っているものだ、年を取ったものと若いものの間には到底一致されない懸隔《けんかく》のある事をつくづく感じた。
 何処《どこ》まで歩いて行っても道は狭くて土が黒く湿っていて、大方は路地《ろじ》のように行き止りかと危《あやぶ》
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