》のあとのある古びた壁なぞ、八畳の座敷一体をいかにも薄暗く照《てら》している。古ぼけた葭戸《よしど》を立てた縁側の外《そと》には小庭《こにわ》があるのやらないのやら分らぬほどな闇《やみ》の中に軒の風鈴《ふうりん》が淋《さび》しく鳴り虫が静《しずか》に鳴いている。師匠のお豊《とよ》は縁日ものの植木鉢を並べ、不動尊《ふどうそん》の掛物をかけた床《とこ》の間《ま》を後《うしろ》にしてべったり坐《すわ》った膝《ひざ》の上に三味線《しゃみせん》をかかえ、樫《かし》の撥《ばち》で時々前髪のあたりをかきながら、掛声をかけては弾くと、稽古本《けいこぼん》を広げた桐《きり》の小机を中にして此方《こなた》には三十前後の商人らしい男が中音《ちゅうおん》で、「そりや何をいはしやんす、今さら兄よ妹《いもうと》といふにいはれぬ恋中《こいなか》は……。」と「小稲半兵衛《こいなはんべえ》」の道行《みちゆき》を語る。
 蘿月は稽古のすむまで縁近《えんぢか》くに坐って、扇子《せんす》をぱちくりさせながら、まだ冷酒《ひやざけ》のすっかり醒《さ》めきらぬ処から、時々は我知らず口の中で稽古の男と一しょに唄《うた》ったが、時々は目をつぶって遠慮なく※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おくび》をした後《のち》、身体《からだ》を軽く左右《さゆう》にゆすりながらお豊の顔をば何の気もなく眺めた。お豊はもう四十以上であろう。薄暗い釣《つるし》ランプの光が痩《や》せこけた小作りの身体《からだ》をばなお更に老《ふ》けて見せるので、ふいとこれが昔は立派な質屋《しちや》の可愛らしい箱入娘《はこいりむすめ》だったのかと思うと、蘿月は悲しいとか淋《さび》しいとかそういう現実の感慨を通過《とおりこ》して、唯《た》だ唯だ不思議な気がしてならない。その頃は自分もやはり若くて美しくて、女にすかれて、道楽して、とうとう実家を七生《しちしょう》まで勘当《かんどう》されてしまったが、今になってはその頃の事はどうしても事実ではなくて夢としか思われない。算盤《そろばん》で乃公《おれ》の頭をなぐった親爺《おやじ》にしろ、泣いて意見をした白鼠《しろねずみ》の番頭にしろ、暖簾《のれん》を分けてもらったお豊の亭主にしろ、そういう人たちは怒ったり笑ったり泣いたり喜んだりして、汗をたらして飽《あ》きずによく働いていたものだが、一人々々《ひとりひとり》皆
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