ちゃん》と二人ばりだら、試験なんか受げさ行かねげっとも……」
菊枝の両の眼には、いつの間にか熱い涙が湧いていた。
「父《ちゃん》は、汝《にし》を百姓にしたぐはねえと思って……貧乏さえしてねげ、女学校さもなんさもやりでえのだが、貧乏なばがりに、ろくに書物も買ってやれねえが……」
「ちゃんや! ちゃん!……」
彼女は涙に光る眼を上げて、こう父親を呼んだが、父親のその温かい情に対して、自分の感情をどう表現していいか解らなかった。彼女は、もう、試験を受けずに、手不足な我が家のために一生懸命に働くと言いたかったのだ。
「俺は、汝《にし》を百姓にしたぐねえ。汝も難儀だげっと、そいつばり勉強してる人達と一緒に試験を受げるなんて……まあ明日《あした》からは、山さ書物を持って来て勉強しろ。父が汝あ分まで伐っから……」
松三はこう言いながら、自分の美しかった若い妻が、菊枝の母親が、いかに惨《みじ》めな半生を送ったかを、農村の女達がいかに虐《しいた》げられるかを思った。
太陽はだいぶ西に傾いて、淡い陽脚《ひあし》を斜めに投げだしていた。緑の新芽は思い思いの希望を抱き、榾火《ほだび》はとっぷりと白い灰の中に埋もれていた。
[#地から2字上げ]――大正十五年(一九二六年)『文藝市場』四月号――
底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
1984(昭和59)年4月14日初版
入力:大野晋
校正:しず
1999年10月18日公開
2005年12月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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