した。
「ぼくには、そんな泣き声なんか聞こえませんがね。あなたは頭がどうかなってるのじゃないですか?」
「わたしの頭がどうかなったっていうの? そりゃ、頭もどうにかなりそうだったわ。気がおかしくなりそうだったわ。でもわたし、あなたを捜し当てるまでは、捜し当てるまではと思って、おかしくならないでいたのよ。おかしくならないでいて、あなたに何もかも話してあげなければいけないと思っていたのよ」
彼女は真面目《まじめ》だった。言われてみると、やはり彼女は正気らしかった。だいいち、彼女は身奇麗にしていた。常人には見られないほどみずみずしく輝く目で、彼女は睨《にら》むようにして相手を見詰めるのであるが、それは彼女の真面目さからというべきだった。青白く窶《やつ》れた頬も異常からというよりは、生活上の苦しさを告げているようだった。そして、黒い頭髪にはよく櫛《くし》が通っていた。
「ねえ、何もかも話してあげるわ。黙って聞いてらっしゃい。本当にあの工場だけは、もうどんなことがあっても駄目よ」
彼女はじっと彼の顔を見守りながら、そう話を進めていった。
彼女は共同井戸から水を汲《く》んでいた。そこへ工場
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