、小さな感謝の塊になっていた。
「松島さん、あなたは、失礼な言い分かもしれないが、ひどく困っていやしないかね?」
「…………」
彼女は頷《うなず》くようにお辞儀をした。
自動車は白い土埃《つちぼこり》を上げ、乾燥し切った秋の空気を切って日照りの街中を走った。
「困っているんだったら、だれかの世話になってもいい気はないかね?」
「…………」
「あんたはそれほどの美貌で、相当の教養もあって……しかし、女の人が自分一人でやっていくということはなかなか大変なことだろうからな。……あんたが再婚をしてもいい気持ちがあるのなら。それよりむしろ……」
「なにしろ、子供があったりするものですから」
彼女は、いくらか顔も赤くしていた。
「子供があったって、それは構わん。子供があるにつけても、再婚をするより、まあちゃんと一家を持たしてもらって、世話になったほうがどれほどいいかしれん」
「…………」
彼女は朝田の話を横道に逸《そ》らし得る自信を持てなかった。失礼な! 失礼な! と心の中で叫びつづけながら、彼女は黙りつづけた。
「運転手! ちょっと、江東《こうとう》ホテルへ回ってくれ」
「あら! そちらへお回りでございましたら、わたし、ここで失礼させていただきますわ」
彼女は驚きの目で見上げた。そこから彼女の家までは、自動車が江東ホテルまで走る時間で充分歩いていけるからだった。
「回ったってすぐだ。ちょうど北海道のある築港から、急行セメントの検査に来た技師が江東ホテルに泊まっているものだから、ちょっと寄って、一緒に行ってもらうだけのことなんで……」
「でも、わたし急いでいるのでございますから」
しかし、自動車は彼女の言葉には耳も傾けずに、人通りの少ない河岸の大道路を折れて疾走しつづけた。彼女は気が気でなくなった。熱を出している赤ん坊のことが心配で心配でたまらないのだ。しかし、それは秘密を要することだと彼女は考えた。熱を出している子供の傍《そば》から通うことが、彼らの衛生観念の許すべきところでないと思ったからだった。
「その築港の技師のことで思い出したのだが、松島さん、あんたはその人と結婚をする気はないかね? あんたがそれを承知してくれりゃ、それでセメントの調査のほうはもう問題なしじゃがなあ! 無検査で採用されるんだが!」
彼女はまた、夫が彼らを罵倒していた言葉を思い出した。恥も
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