すとも。まあ、その証拠に、明日か明後日までにお骨を届けますから」
「灰を見ても、わたし、やっぱり信じられないだろうと、なんか、そんな気がしてなりませんのよ」
「とにかく、これは慰藉料、これは口止料というわけで、それから、これは給料の残り分です」
 監督は三つの封筒を彼女の前に押し出して帰っていった。

 松島の骨を彼の郷里に埋めて、彼女はまた東京に出た。葬式を済ませて帰ってみると、あのとき貰《もら》った金はもはやいくらも残ってはいなかった。彼女は毎日毎日、朝早くから夜更けまで手袋編みを続けた。そして、彼女の生活はだんだんと苦しくなっていった。
 彼女はときどき松島のことを思い出して啜り泣きをした。死んだ夫を哀《かな》しむという気持ちからではなかった。彼女は夫の骨を埋めてきていながら、それでもまだ夫がどこかに生きているように思われて、それを待ちつづける寂しい気持ちに泣かされるのだった。――あの時、工場から届けてくれた夫の骨を、疑えば彼女はいくらでも疑えるのだった。
 彼女のそういう生活の中へある日、この前の工場監督が訪ねてきた。社長のところへ産まれた赤ん坊の乳母になってくれないかというのだった。
「なにしろ社長が、相当の教養があって、身体《からだ》も健康で、そのうえに美貌《びぼう》でなければいかんというものですから、いくら探してもいなくて困ってたんですよ。ちょうどそこへあなたを思い出したものですから……」
「まるで、お嫁さんを探すような条件ですのね。そんなむずかしいところへ、わたしのような者でいいんですか?」
「あなたなら、文句なし! です。実は、あなたのところへ来ます前に、ちょっと社長へ話してみたんですがね。ところが、社長はあなたを気の毒に思っているものですから、ぜひあなたを頼もうということになりましてね」
「では、まいりますわ。ほんとにわたしのような者でいいんでしたら?」
 彼女は謙遜《けんそん》の気持ちに、謝意をさえ含めて答えた。監督の、乳母を職業としている者にでも対するような挨拶《あいさつ》には、彼女はもちろん愉快ではなかったが、しかしそれをすら押し除《の》けて、彼女は特に自分を引き抜いてくれたという社長の情義に飛びついていった。
「じゃひとつ、相互扶助というわけでぜひともお頼みします。お礼はいくらでも出すと言っているんですから……」
 彼女はその翌日から朝・
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