夜も遅うござりますぞ。精々《せいぜい》勉強して一泊二十五銭、いかゞでがす」宿引が良平の顔を覗き込むだ。二十五銭は案外|廉《やす》いと思つて居ると、宿引は良平の毛布包を引たくつて、卵提燈片手に『お客様』と店先に駈け込んだ。」
[#ここで字下げ終わり]
 これは、徳富蘆花の『寄生木』の一節でありますから、発表されたのは明治四十二年でありますが、これを描写したのは、作中の主人公篠原良平が仙台へ飛び出して来たときのことでありまして、篠原良平が少年の眼で見たときの仙台だといたしますと、明治二十年代の有り様でありますから、今の仙台は、酷《ひど》く変わってしまっていますが、それでも、四十年前の仙台を想像させるものは十分あるように思います。

 岩手県の渋民村辺を描いているものに石川啄木の『天鵞絨《びろうど》』があります。
 石川啄木『天鵞絨』
[#ここから2字下げ]
「村といつても狭《せま》いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺《もつ》れて|逶※[#「二点しんにょう+施のつくり」、第3水準1−92−52]《うねうね》と北に走つた、坦々たる其一等道路(と村人が呼ぶ)の、五六町並木の松が断絶えて、両側から傾き合つた茅葺勝の家並の数が、唯九十何戸しか無いのである。村役場と駐在所が中央《なか》程に向合つてゐて、役場の隣が作右衛門店、萬荒物から酢醤油石油|莨《たばこ》、罎詰の酒もあれば、前掛半襟にする布帛《きれ》もある。箸で断《ちぎ》れぬ程堅い豆腐も売る。其隣の郵便局には、此村に唯一つの軒燈がついてゐるけれども、毎晩|黙火《とも》る譯ではない。」
[#ここで字下げ終わり]
 この一節の中で、最も興味を引くのは、役場の隣の店の「……箸で断《ちぎ》れぬ程堅い豆腐も売る……」というところであります。このような部落の風景や、このような居酒屋は、他の地方にも無いとは言い難いのでありますが、堅い豆腐は東北の名物ともいうべき独特のものであります。

 東北の冬を描いて雪を取り入れない人は殆んどいないようです。
 久米正雄『雪の驛路』
[#ここから2字下げ]
「雪を被つた[#「被つた」は底本では「被った」]、そして処々眞黒な屋根々々が、不揃ひに並んだS町の向うには、狭い町幅をすぐ越えて、一面の田野が処々に杜を黒ませたり、畔のやうな区畫を見せたりして、広く続いてゐた。そして其盡きるあたりに、黒い帯を曳いて、可な
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング