た現在の市街地は、まるで自分に関係のない場所となって行った。
殆んど自給自足に近い生活をしている甚吉は、自分の収穫物を、市街地へ売りに行くと云うようなこともなかった。時折に、荷車を曳いて人糞をあげに行くだけが、以前に自分の住んでいた部落との纔《わず》かな繋がりであった。
併し又それが、以前の小作人仲間と自分との気持を、纔かながらに繋ぐ機縁となっていた。甚吉は人糞をあげに行って、どうかすると、工場通いをしている人達に行き会うことがあった。そして、昔のことや現在のことや未来のことに就いて立話をした。けれども、重次郎に行き会って立話をするのは、それ以来今度が始めてであった。
「おめえの方はどうだえ? 甚さん、その後の具合は……」
重次郎は機嫌よく微笑んでいたが、その顔には、何処となく憔悴した影が流れていた。
「うむ。俺の方はまあ、どうにかやってるが、なあに、相変らず追われ通しだ。おめの方はどうだ? 少しは景気がいいのか?」
「景気がいいどこじゃねえ。悪くて仕様がねえよ。日給一円八十銭で、家族七人と来ちゃ、景気のいい筈がねえじゃねえか? そんで、近近のうちに何んかおっ始まりそうなんだよ。」
「やっぱりな。やっぱり、じゃ、工場だなんて大きな顔していても、景気はよくねえんだな?」
「工場は景気がいいんだ。工場の方じゃ、どんどん儲かって、又、分工場を建てるって話だからな。われわれ、そんで黙っちゃいられなくなって来たわけさ。幾ら工場の方が大きくなったって、われわれの賃銀は一向あがらねえんだからひでえや。」
「大きくなるもの、大きくなる一方だ。われわれは又われわれで……」
「今度の分工場ってのは、とても大きいらしいんだ。そら、甚吉さんの耕《つく》っている畠のところに、川に沿うて桑畠があるな。なんでもあそこらしいって話だぞ。」
「俺の畠のとこへ建てるって? 一体、工場の野郎共はなんと云う野郎だべ! この俺を、一体、何処まで追払うつもりだんべ? あそこへ工場が出来れあ、俺の耕ってる畠なんか、住宅に貸すからって、直ぐ又取上げられて了うのだから……」
甚吉は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りながら、急に、狂人のように叫び出した。
「だからよ。甚さん! 工場はそうして大きくなって行くのに、われわれは一向に……」
「一体、何処まで手を拡げて行くつもりなんだ? あんな
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