いた。昼の間は労働をしなければならないという考えがあるので、心が全く緊張して、労働から帰って来ると、昼の間に思索に思索を練って、自分の時間になるのを待っているために、この一年は却《かえ》って勉強が出来た。労働をして帰ってから、長篇を書く時などは、一晩の中に十五六枚書けたこともあった。そんな時は一時過ぎまでも起きているので、翌朝六時に家を出かけるのは随分辛かった。
 秋になって私は、加藤武雄氏の鞭捷によって一入《ひとしお》の努力を続けた。そして工事場では詩を作るのをやめ、休息の時間を利用して読書をすることにした。十一月には赤痢にも罹《かか》って床に就いたりしたが、私に取ってはこの年ほど勉強の出来た年はない。本もかなり厚いのばかりが二十数冊読めた。こうした労働はいいものだ。だからやっているのではないが、私は今も半労働を続けている。今この原稿を書いている私の手は、皸《あかぎれ》と罅《ひび》とで色が変わっているほどだが、晩年のトルストイの手のことを思うとなんでもない。ただ、皸に貼った膏薬《こうやく》のために、手がこわばって困るだけだ。しかし、去年の五月から今年の一月十日までに、二篇の長篇と、短篇を十九篇書き得たのだから、いくら労働しながらでも、今年はもっと書けることと思う。
[#地から2字上げ]――大正十四年(一九二五年)『文章倶楽部』三月号――



底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
   1984(昭和59)年4月14日初版
入力:大野晋
校正:湯地光弘
1999年12月6日公開
2005年12月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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