も同意見らしく何も言わなかった。
「いや、こっちへ来ないんだろう。僕の考えでは、むしろ喜んでいて、今に汽笛を鳴らして通ると思うな。和睦《わぼく》の汽笛を」
傍からいつもこう言うのは信号係の西村だけだった。西村は秋子を慰めようとするのだった。
「汽笛どころか、今に会いに来るよ。怒るときには怒っても、親じゃないか」
「私、逢《あ》いに来てくれなくてもいいから、許してだけくれるといいんだわ。私だって、親から許された柴田の妻で死にたいわ。許した証拠に、汽笛だけでも鳴らしてくれると……」
彼女は、そうして湧《わ》き出る涙を拭《ふ》く力さえも失っていた。黒い幕は目前に近付いている気がするのだった。
「死んで行く者を、許してくれたっていいと思うわ。今になって、私の方で、折れるわけにはいかないじゃないの」
秋子は恨みがましく呟《つぶや》くのだった。貞吉は無言で傍から彼女の涙を拭《ぬぐ》ってやるのだった。
遠方信号が赤だった。吉川機関手は眼をむいて拡大鏡から前方を見詰めた。そして、レギレーターを戻した。もし信号機に故障があれば、暗闇の信号所で青い提燈《カンテラ》を振り回すはずだ。
列車は遠方信号に接近した。機関手はブレーキに手をかけた。そして汽笛の紐《ひも》を引いた。野獣の吼えるように、唸るように、余韻を引いて汽笛は高らかに響き渡った。
信号が青に変わった。機関手は舌敲《したう》ちをしてレギレーターを入れた。列車は轟然《ごうぜん》と突き進んだ。と、また場内信号が赤かった。吉川機関手は周章《あわて》てレギレーターを戻しブレーキを入れた。そしてもう一度汽笛の紐を引いた。機関車は高らかに吼えた。唸るような余韻を引いて。が、もうブレーキでは間に合わなかった。列車は官舎の横まで来ていた。場内信号はすでに眼の前だった。吉川機関手は腰を上げて、リバース・シングルバース・ハンドルを引き倒した。列車は逆戻りをする前にまず速度を失った。
場内信号が青に変わった。吉川機関手はもう一度汽笛を鳴らしてから、リバーース・シングルバース・ハンドルを戻してレギレーターを入れねばならなかった。
「おい! ねぼけていちゃ駄目だよ」
信号所の横を通りながら吉川機関手は叫んだ。錆《さび》のある優しい声で。そして彼は急速力で走り出した機関車の窓から顔を出して場内を見返った。潤み霞《かす》んだ眼には停車場の赤
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