けめ!」
 牧場主の森谷喜平が怒鳴り立てながらそこへ寄ってきた。
「なんだって怪我などさせやがったんだ?」
「お嬢さまが……」
 正勝は喜平の前へ出ると、思うように口の利けなくなるのが常だった。
「なにをっ! 紀久子が?」
「白い服を着て、あの土手のところから突然に……」
「正勝! てめえはまた嘘《うそ》をつくつもりか?」
 喜平はぴゅっと、手にしていた長い鞭を空間に打ち鳴らした。
「嘘なんか……」
「嘘でないっていうのか?」
「お嬢さまが……」
「なんでそんな嘘を言うんだ。わしはちゃんと見ていたんだぞ。見ていたから言うのだ。てめえが躓かせて、打ち転がしたんじゃねえか?」
「それは花房のほうで……」
「花房? それじゃあてめえは……あっ! 浪岡か? 浪岡に怪我をさせたのか? なんてことをしやがるんだ! たわけめ!」
 喜平はまたぴゅっと鞭を打ち鳴らした。
「正勝! てめえは大変なことをしたぞ。浪岡か? わしは見違えていた。花房と浪岡とを取り違えて見ていた。なんて馬鹿なことをするんだ。浪岡を捕まえたら、浪岡は新馬だから一頭だけ離して曳いてくりゃあいいじゃねえか。わしはまた、正勝が浪岡に乗って走らせているんだと思っていたんだ。それで、浪岡が躓いたと思ったから心配して出てきたんだ。ところが、なんという態《ざま》だ。躓いて転んだどころか、蹴らして大切な前脚へ怪我をさせるなんて、平吾! 早く手当てをしなくちゃ! 早く厩舎へ曳っ張っていって、脚へ重みがかからないように梁《はり》から吊《つ》って、そして岩戸《いわど》をすぐ呼んで手当てをさせろ!」
「ほらほら、ほらほらほら」
 平吾はすぐ浪岡を厩舎のほうへ曳いていった。松吉もそこに立っていても仕方がないので、浪岡についていこうとした。
「松吉! この花房を曳っ張っていけ!」
 喜平は怒鳴った。松吉は戻ってきて正勝から手綱を取った。正勝は寂しそうに項垂れた。
「正勝! てめえはこっちへ来い!」
 喜平はそう言って鞭をまたもぴゅっとひと振り振って、母屋のほうへ歩きだした。正勝は訝《いぶか》しそうにして躊躇《ちゅうちょ》していた。喜平は後ろを振り返って、またぴゅっぴゅっと鞭を振り鳴らした。
「来いっていったら来い!」
 正勝は仕方がなく歩きだした。

       6

 紀久子はどうしていいか分からなかった。
(困ったわ、困ったわ。あ
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