岡をおれさ寄越せや」
 そして、正勝は浪岡の首についている細引を平吾から受け取った。
 平吾は新馬を正勝に渡して手軽になると、松吉と並んで馬を駆けさせた。正勝はうるさくぐるぐると縺《もつ》れる精悍《せいかん》な新馬を縺れないように捌《さば》きさばき、草原の斜面を下りていった。

       4

 紀久子は厩舎の前に立って、じっと放牧場のほうを見ていた。
 秘《ひそ》かに部屋を出て厩舎へ来てみると、そこには三人の牧夫が馬に鞍を置いていて、正勝にだけ秘密の話をすることはできなかったからである。紀久子はそこに立っていて、機会の来るのを待っているより仕方がなかった。彼女はいつまでも放牧場のほうを見ていた。
 紀久子の心のうちはそうしているうちにも、決して平和ではなかった。
(あんな風にしているうちに、あの人はほかの人たちへあのことを話さないかしら?)
 紀久子は自分の胸に何匹かの蝮《まむし》がいるような気さえした。彼女は、正勝が早く厩舎へ帰ってくることを願っていた。
(蔦代を捜しに行くという口実であの人がどこかへ行ってしまったら、わたしはどんなにかほっとするのに……)
 紀久子はそう考えて、正勝がこの牧場から姿を消すというのならどんなことでもしてやりたかった。そして、彼女は正勝が早く厩舎へ帰ってくるのを待った。
(この金さえ渡せば、あの人はすぐもうこの牧場からいなくなるのだわ)
 やがて三頭の馬は一頭の新馬を拉《らっ》して、厩舎を目指して帰ってきた。紀久子は正勝の花房が真っ先に帰ってくることを願った。ところが、花房は途中で木の根に躓《つまず》いて跛を引きだした。
(あら! あの人はまたお父さまから叱られるのだわ)
 紀久子は自分のことのように心配になった。いまの彼女にとって、自分が叱られることよりも正勝が叱られるのはもっといやなことだった。恐ろしいことだった。
(わたしどうしようかしら?)
 紀久子は心臓の熱くなるのを感じながら、厩舎の前から放牧場のほうへ出ていった。
(わたしはあの人の身代わりになろう。花房の脚を折ったのは、正勝ではなく、わたしだということにしよう。わたしが花房に乗って駆けているうちに、花房が躓いて転んだのだと言えば、お父さまは叱らないに相違ないから。そして、ついでに金を渡してしまえば、あの人はこの牧場から姿を消してしまうに相違ないから)
 紀久子はそ
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