いるのよ」
「そんなことは信じないけども、おれだけは、おれだけは紀久ちゃんのこと、昔と同じように思っているんだ。友達で一緒に遊んでいた時分のことなんか考えると、おれは紀久ちゃんを死なせたくなんかないんだ。でもなかったら、おれだってもうどこかへ行ってしまっていたかもしれないんだ。ただ、紀久ちゃんのいる近くにいて、いつまでもいつまでも紀久ちゃんを見ていたいからこそ、おれはこうしているんだ。たとえ紀久ちゃんが結婚をしてしまっても、おれはやはり紀久ちゃんの傍を離れられねえような気がするんだ。奴隷のようにされても、牛馬のように思われても、やはりおれは紀久ちゃんの傍にいたいんだ。おれはやっぱり、いつまでもいつまでも紀久ちゃんを生かしておきたいんだ。紀久ちゃんが死んだからって、蔦が生き返るわけでもあるまいし……」
「でも、わたし、人を殺したんだから、わたしも殺されるのが本当だと思うわ。殺されないまでも、わたし、何年も何年も監獄に繋《つな》がれることなんか考えると、かえって殺されたほうがいいわ。正勝ちゃん! わたしを殺してよ! ねえ!」
 紀久子は泣きだしそうにして言うのだった。
「大丈夫だ! 心配することなんかねえよ。蔦がいまいなくなったって、だれも蔦のことなんか気にかけやしねえ。蔦なんか、猫の子が一匹いなくなったよりももっと、なんでもない人間なんだから」
「そんなことないわ。すぐ知れるわ。そして、真っ先に調べられるのはわたしと正勝ちゃんだわ。そしたらわたし、すぐ顔色が変わってしまうわ。顔色ですぐ分かってしまうわ」
「大丈夫だ。都合のいいことに蔦の奴《やつ》がおれに書置きをしてあったんだよ。だれか、蔦のいなくなったのを不思議がる奴があったら、蔦の書置きを見せりゃあそれでいいんだ」
 正勝はそう言って、一本の手紙を懐から取り出した。
「こんな風に書いてあるんだから……」
 紀久子に示しながら、正勝はもう一度それを覗《のぞ》き込んだ。

 兄上さま。わたしのたった一人の兄さん。わたしは悲しくてなりません。今日かぎり、しばらくはお目にかかれないのだと思いますと、わたしは悲しくてなりません。それでも、わたしは悲しいのをこらえて、東京へ出ていく決心をいたしました。わたしのたった一人の兄さんを残して、自分だけ東京へ行くのだと思うと、わたしは悲しくてなりません。それでも、いまのうちに悲しいのを
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