、被告杉沢清次郎が、藤原平三を憎んでの祈祷《きとう》を機縁《きえん》として、藤原平三の猟犬ジョンの頭を硫酸にて焼き、約二週間の後には、黄燐を塗った肉片を与えてその猟犬を死に到らしめるなど、一つとして、神を信ずるという迷信を遠ざけようとした手段とは思われない。」
「最早、医術の力を説いても無駄だと思ったからで御座いました。神の力だけを信じている農村の病患者を救うには、竹駒稲荷大明神の御供物《おくもつ》、お神酒《みき》と言って医薬を施すより他には途がないものと思ったからで御座います。」
「――そうではあるまい! 被告は一度として貧しい祈祷者に薬物を混入した供物《くもつ》を与えた事実が無いではないか。これは、賽銭《さいせん》寄進物《きしんぶつ》の多少によってその御利益《ごりやく》の程度を暗示して、利得を計ったものと思うが、どうか?」
「決してそうでは御座いません。自分の財産を投げ出しても、病人を救うのが医者の任務と心得まして、利得《りとく》を計ったことは御座いません。」
「然らば被告はいかなる考えで人命を断ったか? 竹駒稲荷の效験顕然《こうけんあらたか》なことを知らせようとしてのことか?」
「…………」
「竹駒稲荷の效験顕然なる事を知らせることは、間接にもしろ、被告自身の利得を計っているではないか? 第一予審調書に依れば、被告は相当な御礼寄進をなさざれば、直ちにお使いの白狐が飛び出して田畑を荒らし、その他再び病気を発するなど、顕然なる罰《ばち》を受けるものと称して、金銭、米穀、反物《たんもの》、田畑、山林などを寄進せしめ、これを私有し、贅沢なる暮らしをしていたではないか?」
「…………」
「即ち、被告は、神の名により、不当の価格にて医薬を売ろうとしたものであり、人命救助の目的を以って竹駒稲荷の祠《ほこら》を建立《こんりゅう》したものではない。藤原平三に、重クロム酸加里を混入せる酒を呑ましめたることも、自分の利得のための殺人として情状酌量の余地なし。」
[#地から2字上げ]――昭和四年(一九二九年)『文学時代』十月号――
底本:「佐左木俊郎選集」英宝社
1984(昭和59)年4月14日初版発行
初出:「文学時代」
1929(昭和4)年10月号
入力:田中敬三
校正:小林繁雄
2007年7月23日作成
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