は人臣の榮《えい》を極《きは》む。然り而して前後皆亂を爲し誅に伏す、惜しいかな。豈四|端《たん》の偏《へん》ありしものか。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
五一 此學吾人一生負擔、當[#二]斃而後已[#一]。道固無[#レ]窮、堯舜之上善無[#レ]盡。孔子自[#レ]志[#レ]學、至[#二]七十[#一]、毎[#二]十年[#一]、自覺[#二]其有[#一レ]所[#レ]進、孜孜自彊、不[#レ]知[#二]老之將[#一レ]至。假使[#二]其踰[#レ]耄至[#一レ]期、則其神明不[#レ]測、想當[#レ]爲[#二]何如[#一]哉。凡學[#二]孔子[#一]者、宜[#下]以[#二]孔子之志[#一]爲[#上レ]志。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
〔譯〕此の學は吾人一生の負擔《ふたん》、當《まさ》に斃《たふ》れて後に已《や》むべし。道固より窮り無し。堯舜の上、善盡くること無し。孔子學に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其の進《すゝ》む所有るを覺《さと》り、孜孜《しゝ》として自ら彊《つと》めて、老《らう》の將に至らんとするを知らず。假《も》し其をして耄《
前へ
次へ
全71ページ中37ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 一斎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング