の珠洲水崎に至る四十五里」と、この二つの交通だけが記してあります。
それから小木のおけさの多少古いのと、出雲崎や柏崎のおけさとほぼ同じものであると言ふ點から推論してさう言つたものらしいのです。
この小木、出雲崎、及び柏崎のだと言ふのを何れも聽きましたが、此方へ來る途中で小木のまだ三十にもならない女からうろ覺えで、それもたつた一晩の中の數分間だけ聞いたので、三つの區別はとても分かりませんでした。しかし何れも※[#四分音符、1−2−93]が百五十以上ではないかと思はれる早さで、大よそ次のやうなものらしいのでした。相川の昔のおけさが非常に騷がしいものであつたと言ふのが五十ばかりになる人の話ですから、これに近いものだつたかも知れません。
[#楽譜(fig48182_01.png)入る]
今の小木の節で相川のと特にちがつた特長のあるのは次のやうなのです。間は※[#四分音符、1−2−93]がおよそ百です。
[#楽譜(fig48182_02.png)入る]
しかし、越後風のおけさよりももつと古いと思はれる節が、その以前に相川にあります。これは相川の鑛夫の妻として若いときに相川に居り、途中で他國へ出たことのある五十ばかりの女から教はつたので、次のやうです。
[#楽譜(fig48182_03.png)入る]
この節が今の越後風の節にもなり、一方佐渡風の節にもなつたのではないかと思はれるのです。次に出した節はやはり相川で五十以上の女から聞いたのですが、佐渡おけさに移る一階級かとも思はれるやつです。
[#楽譜(fig48182_04.png)入る]
この節の系統と思はれるのを今年三十になる女から聞きました。その女は小木のものですが、これは餘程今の佐渡おけさに近いものです。それは
[#楽譜(fig48182_05.png)入る]
その次に現在の佐渡おけさを出すのが順ですが、これは極く粗い譜に取つたのが二百近くありますので、そのうちから選り出すのが面倒ですから、後※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しにします。
以上出したものよりも更に古い節を私は私の母から東京で子供のとき聞いたのを半分覺えてゐます。それは
[#楽譜(fig48182_06.png)入る]
この歌の言葉の方は母方の死んだ祖母が言つて居たのを覺えて居たのでして、初まりは
[#天から2字下げ]來いとゆたと
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