すり減らされたぬるぬるの桶で體を洗ふのです。石鹸を生まれてから一度も使つたことのない人も居ます。知人に逢ふと東京ならば流しませうと言ふ處を掻きませうと言ふのです。文字通り爪で脊中の垢を掻き合つて居るのです。桶が今言つた通りなので男でも湯屋に金盥を持つて行く人が相當にあります。寒中でも上り湯がぬるいためか大抵の人は水を浴びてゐます。湯屋によると門口の戸一枚で中じきりの戸を寒中でも付けない家もあります。
 湯に入る前に體をしめす習慣もありません。女湯で歌をうたつてゐるのが聞かれます。
 歌の好きなことは他の町に比類がないかも知れません。年中町の到る處で男女の歌が聞かれます。おけさ、安來節、追分などが重なもので都都逸二上り新内のやうなものは滅多に聞かれません。中山晉平氏、本居長世氏のものも相當歌はれて居ます。女が一日働いて夜更けて友達を訊ねて歌ひ合ふ風もあります。芝居小屋の小さなのがあります。碌な役者は來ませんが浪花節だけは相當のものが來ます。いつも相當の入りを取ります。
 歌と踊の好きな町民が思ふさま歡樂を盡すのはしかし夏を待たなければなりません。
 四月に這入ると雪が雨になります[#「なります」は底本では「なるます」]。雨になるに連れて降る時間が一日の中の僅な時間だけになります。そして一日の中の何時間かは必ず日が照るやうになります。五月に入るとからりと晴れた日さへ見られることがあります。雪割草の淡紅から深紅乃至紫までの花が谿間に咲きます。次に岩鏡の紅色の房が艷艷した葉を覆ふやうにして咲きます。あまどころ、えんれいさう、その他名の知れない森林植物が咲きます。少し注意深いものには容易く雙葉葵の葉蔭に芳つてゐるのを發見することが出來ます。
 死んだやうに成つてゐた櫻や梅が急に芽を出して花を咲きます。東京の植物は落葉の時に既に小さな芽を落ちた葉の痕に持つてゐます。相川の植物は急激に襲ふ寒氣の爲に樹の表面は盡く死んでしまふものと見えて、冬を通して風當りのない谿間ではその葉を落としません。腐りもせず、落ちもせず恐らく黄葉もしなかつたらうと思はれる形で、青葉の儘毒を注射されでもして死んだのではあるまいかと思はれるやうに、その儘の形で枯れて枝についてゐるのです。恐らく堅い甲冑を着けてゐない枝の先は表面の皮の底まで通る寒さのために枝ごと死んでしまふのだらうと思ひます。どの樹も春になつて
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