」は底本では「急句配にも」]谿底にも二三尺の矮生の樹が茨のやうに枝をくねらして生ひ茂つてゐて、その中から骨のやうに白くなつて立枯れした樹が並んでゐるのです。山の脊の西側の斜面には、灰色の燒石と赤土とが交錯して、紫紺から藤色乃至紅乃至赤を柔かにぼかして、その間を黄色い芝草、緑乃至代赭乃至紫の灌木が同じやうな明るい色で點綴してゐます。あれ山の儘太古の日にむき出しに照らされてゐるのです。
浮島のある池の附近には倒れ重なつた半腐りの幹や枝の間から脊の高い細い樹がよろめくやうに生えてゐます。倒れ重なつた死木や死にかけた樹の下は沼地で、腐つた落葉の中から、ほの白い幽靈草、草とも木の實ともつかないやうな形をした突羽根草、さまざまの色の名の知れない菌が一面に生えて、樹の間を漏れる青い光を魔法にかからせて居ります。浮島は水蘚類や石松科の動物を去ることの餘り遠くない植物で覆はれてゐて、そのなかから喬木の若樹がふとした出來心でどうせ大きくは根を張れないのに三尺近くの細い幹をところどころに延ばして居ます。
島のほぼ中央に穴があります。昔相川の町から行つて青野峠を越した向うのにくう村の談議所と言ふお寺の女中のおとわと言ふのが、木こりに言つたものか、みみ――木の子――でも取りに行つたものか、此二里の谿間の死んだ樹の下をくぐつて一番奧まで來たことがある。此處だけには生き殘つてゐる大木の下の眞つ暗な中でふと月の障が出來て着物の裾をよごしたのださうです。五六丈の上から垂れ下つた藤蔓をたよりに浮島へ渡つて清めようとしたときに池の主が之を見込んでその儘ずるずると引き込んだと言ふ。その穴が今もある此穴で、それ以來此池をおとわ池と言ふと言ふ話です。
斯う言ふやうな傳説は佐渡の到る處にあるやうです。
此佐渡の北の外れから北佐渡を東西に二分する山の脊が、黒姫、金剛、金北、妙見と次第に南下して、今言つたおとわ池の西を通過して、青野峠から相川の東と南とを壓迫しながら北佐渡の最南端二見崎で西の海に沒してゐる。この山の脊を超えて國なかの平野に出るには、青野峠によるか、半間幅の里道によるか、三間幅の縣道によるかの三つです。今日利用されてゐるのは此三の中の一番南の縣道です。此縣道を土地の人は新道と呼んでゐます。此新道の北に舊道があり、舊道の北にまた更に古い道があります。此道を土地では二つ岩道と言つて居ります。此道は殆ど壁をよぢるやうな道でして相川から僅か十四五町も登ると既に峠の絶頂に達しられます。絶頂は薄の野になつてゐますが、相川から行つて白粘土の道を松と薄とで兩側の展望を障られた儘我知らず登りついてしまふと、其處には左手に無數の低い鳥居がお稻荷樣のやうに並んでゐます。鳥居をくぐつて奧まで行くと汚らしい繪馬堂があります。繪馬堂の先に眞つ黒な岩の間に挾まつた小さな祠があります。
黒い岩や赤土は相川からぢかに東に登つた山では珍しくないのですが、白粘土ばかりの此邊でそれを見ると何だか飛んでもない氣がします。おまけにその黒い岩は千仭の谷の上に首を出してゐるのです。大局から見ると、佐渡と言ふ島は海の中から南と北との二個處にごぼごぼと吹き出して出來でもしたもののやうです。粘土の中から石英と石灰とで出來た山脈がところどころに赤玉だの瑪瑙だの青玉だのの肌を天日に晒し腹の中に鍾乳石だの水晶だの太古からの不思議な水だのを包んで輕石だの火山彈だのを浴びて二本並んで立つてゐるのです。相川が生憎石英粗面岩の大きなやつの上に立つてゐるので、冬の中ガラスの上に坐つてゐるやうな冷たさを住む人が經驗しなければならないのですが、町を一寸南にでも北にでも外れると、海岸には水色や薄紅梅や乳色の岩が見え、縣道から二つ岩までの間は房州の鋸山で見るやうな剃刀砥のやうな、ところどころに木の葉や貝や魚類の化石を含んだ石で出來てゐるのですが、この祠のある場處は恐らく佐渡の最北端から金北山を通つて來た山の脊の一部の石灰の多い箇處が海か雨かのために虧けでもしたものらしく、白土をかぶつた山の一部がごぼりとなくなつて恐ろしい見苦しさを表はしてゐるのです。
祠を挾んでゐる二つの岩は女陰の形を造つて居ます。非常に大きくて黒く出來てゐるのが何となく不吉な豫想を暗示してゐます。祠の大きさは高さ三四尺もありませうか。もぐらなければ中へ這入れません。祠の小さいことが何となく恐ろしい感じを人に與へます。祠の奧は筒拔けになつてゐて、そこから更に深い大きな底の知れない洞穴に這入れます。けれども誰も土地の人で這入つて見たものはないやうです。もしあつても決して人に之を話しますまい。何故と言つて萬一そんなことを實行したものがあつたら佐渡全島の女を犯したものよりも非道い目に逢ふでせうから。
祠のある割目のほかにも數個の割目があります。要するに數個の大岩が
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