文を作りたるは實に兩度のみ。一は染川實秀の爲めに製したる墓碑銘にして、其一は即ち此碑文なりと。現に鹿兒島市福昌寺域内に建てり。翁が如何に安武其人を尊重したるかを察知すべし。世上流布の本文頗る異同あり。今ま石碑刻文(明治五年建)に據る。因みに云ふ、安武は故文部大臣子爵森有禮の實兄なり。
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     祭[#二]戊辰戰死者[#一]文

夫生者之有[#(ルハ)][#レ]死。自然之理。豈得[#(ン)][#レ]逃[#(ルヲ)][#レ]之[#(ヲ)]乎。然[#(レドモ)]死者人之所[#レ]難[#(ンズル)]焉。獨[#(リ)]臨[#(ミ)][#二]大義[#(ニ)][#一]棄[#(ルコト)][#レ]之[#(ヲ)]輕[#(シ)][#二]於鴻毛[#(ヨリ)][#一]矣。以[#(テ)][#二]其[#(ノ)]爲[#(ス)][#レ]難[#(ト)]者[#(ヲ)][#一]。輕[#(ジテ)]而共[#(ニ)]棄[#(ツ)][#レ]之[#(ヲ)]。可[#(シ)][#レ]謂[#(フ)][#二]交誼之至[#(ト)][#一]也。此[#(レ)]非[#(ズ)][#下]依[#(リ)][#二]人之言[#(ニ)]
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