魚がしという木綿のうしろ幕、それにヒゴ骨の提灯を毎晩お客さまへ景物に出してくださいました。これでいよいよ人気が立って毎晩の大入、あとの寄席もどこもかしこも大入続きで、どうやら小さんの名前を汚すことなく、おかげで今日まで参りました。でも雀百まで踊り忘れずとはこのことでしょう。そそっかし屋だけは一生直りそうもありませんでね、その木原店へ初看板を上げたときもです、縁起を祝って諏訪町の新建ちの家へ引越したのですが、銭湯の帰りに御近所へ配る引越しそばをあつらえてきてくれと神さんにたのまれ、手拭片手にブラリ家を出たのはいいのですがお湯の帰りにうっかりお隣の家へ入って上がり込んでしまった。真っ赤になってあやまってほうほうの体でそこをとびだすと今度はまたその隣の家の格子戸を開けかけたりして三度めにやっと自分の家へ帰ってきたのですが、とたんに隣の神さんが私の忘れてきた煙草入れと履きちがえてきた下駄を取り替えにきた。そのうえ、かんじんの引越しそばをあつらえるのは忘れてきたというに至っては、われながら、愛想も小想《こそ》も尽き果ててしまいましたよ。もうこの分じゃ一生涯この粗忽は直りそうもありませんから、せめてはこのうえはその分だけ高座で演る「粗忽長屋」や「粗忽の釘」、さては「堀の内」をせいぜい巧く演って埋め合わせるよりほかに手はないと思っていますね。
 小さんの真打の看板を上げるまでの一席、この辺でおあとと交替させてください。ハッハッハッハッ。



底本:「圓太郎馬車 正岡容寄席小説集」河出文庫、河出書房新社
   2007(平成19)年8月20日初版発行
底本の親本:「寄席恋慕帖」日本古書センター
   1971(昭和46)年12月刊
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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