言われるままに私はその晩「本膳」を演って下りてくると、今夜は俺が聴いているせいか、横浜のときよりよほどうまかったぜと笑いながら師匠に肩を叩かれましたが、さてそのあとで楽屋の奥の誰も人の来ないところへ連れていかれると、ピタリと師匠はそこへ座って、お前は私とはまことに縁が薄く、弟子になるとすぐお前は燕路や柳枝の手塩にかけられ、そのあと今度は扇歌の手人《てびと》に借りられてしまったりして、ほとんど高座を聴くこともなかったが、サ、今日こそはいろいろ噺のコツを教えてやろう、いいか生酔の急所はこうなんだ、また百姓はこういう目をしなければいけない、破落戸《ごろつき》はこういう手つき、職人はここへこう手を置くものだ、それから侍は肩をいからして手をこう置くし、大名のときはこうやるんだとすべていちいち手帖へ控えておきたいくらいに士農工商それぞれの言語動作を隅から隅まで、わずかの時間にすっかりと教えてくれました。みなウームウームと唸ってしまうくらい、肯綮《こうけい》にあたっていることばかりでした。なんだか自分の粗悪な「芸」の着物を、いっぺんに極上等の染粉をつかって見ちがえるように洗いあげられたようなすがすがしさを感じました。すっかり身が、心が、ぽってりと肥えて太ってきたかんじでした。
 だのに、だのに。
 やっぱり、売れない。売れないんです、からっきし[#「からっきし」に傍点]。ばかりか三軒あった掛け持ちは二軒に、二軒のところはまた一軒にとだんだんあとびっしゃりをしていくのはひどすぎる。
 こうなるともう私は、怨とか、腐るとかいうことでなく、真剣に、肚の底から腹を立ててしまいましたね。
 冗、冗談じゃない、てんだ。
 つもってもみてくれ。
 うそにもよっぽどどこかに見どこがあると思えばこそ師匠燕枝も、親しく小対《こむか》いになって「芸」の急所や奥許しを、惜し気もなく私にさらけだしてみせてしまってくれたのだろう。
 だのに、それがやっぱり売れないときては、わかった、みんなして寄ってたかって俺をバカにしているんだ。
 いい加減なでたらめばかり言っておだてちゃ、陰で赤い舌を出してよろこんでいやがるんだ。
 人をも世をも怨みわびとでもいいましょうか、果てはほんとに世のなかが、まわりの人たちが、ただわけもなくうらめしくてうらめしくてならなくなった。みんな仇《かたき》だ、みんな敵なんだ、人を見たら泥
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