と》れていないで、さあひとつ干しておくんなさいよ」
その大川の真ん中ほど、申し訳ほどに上り下りの船の通い路を残している、すれすれにもやった屋根船、夜目にも薄白く沢村田之助《きのくにや》そっくりの美しい顔立ちを嬉しく浮き上がらせている女は、成島柳北《なるしまりゅうほく》が「柳橋新誌」に艶名《えんめい》を謳われた柳橋のお絲《いと》。
「いや、あっしは駄目だ。お酒のほうはお積《つも》りとしやしょう。それより下戸には、いっそ、この柳升の甘味のほうがうれしい」
言いながら、いま芝居噺でお江戸の人気を一身に集めている若い落語家《はなしか》の三遊亭圓朝は、傍《かたえ》の切子のお皿から、葛ざくらのようなものをつまみあげて、不機嫌に口へ運んだ。色の生白い、見るから二枚目然とした彼は、派手な首ぬきの縮緬浴衣を着ていた。生ぬるく夜風が吹き抜けていった。
その頃、落語家の檜舞台といわれた、向こうの垢離場《こりば》の昼席でトリ[#「トリ」に傍点]をつとめて三|百《ぞく》五|百《そく》の客を呼び、めきめき大方の人気を煽り出した圓朝は、いつしか橋ひとつを隔てた土地のこのお絲と恋仲になっていたのだ。元治元年、圓朝二十六歳の夏だった。
「アラ葛ざくらなんか。じゃ、こっちの有信亭の共白髪《ともしらが》のほうがオツでさあね。ね、ほら、アーンと口をお開きなさいよ」
いっぱいの幸福感を顔中に漲《みなぎ》らせて、お絲は、風雅な朱塗りの箸で名代《なだい》の共白髪をはさみかけたが、
「おっとっと、お絲、それにゃおよばねえて」
また、その白い手を押さえて圓朝は、
「あっしは親代々の落語家だ。――こんな品ものよりも、小大橋辺りの腰掛けで惣菜物でも食べるほうが柄だろうて」
「……まあ、おッ師匠さんは、なんで今夜はそんなキザばかり言うんだろうね。あたしのお気に召さないところは、あけりゃんこ[#「あけりゃんこ」に傍点]にぶちまけて、叱ってくださればよいものを、ええもう、じれったいったら」
やっぱり幸福感をたたえた顔のまんまいざり寄ってきて、男のやさしい撫で肩へ手をかけようとしたとき、
「しッ、しずかにしろイ。お前に怒っているんじゃねえ。見ろイ、向こうの船にゃあ、敵役がいらあな」
圓朝はそれを振り払い、豪奢な煙管で一重帯ほどの水を隔てた向こうの船を指さした。
筋向こうの屋根船には、当時の落語家番付で勧進元の
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