ってやるからな」
「この馬鹿野郎、いい加減にしろ」
 あっけにとられていた男の子が廊下の彼方へ行ってしまったとき、白いほど青くなって飛び込んできた師匠の三遊亭圓朝だった。
「なんて真似をしやがるンだ圓太郎。世のなかにお前のような不作法千万な男がありますか」
 圓朝はたまたま道具しらべに入ってこようとして次の間からこのていたらくを見たのだった。
「今のはこちらの若様じゃないか」
「…………」
「高貴のお方に鉄槌を取らせ、申すさえあるに、足の指で受け取るとはなんてえことです」
「…………」
「おまけに、坊や後で小父さんが南京豆買ってやる。近江様の若様が南京豆なぞお上がンなさるか。私ァ聞いててハラハラしました」
 光った圓朝の額に冷汗が滲《にじ》み、呼吸づかいがただごとでなく乱れていた。
「あいすみません、実になんともはやどうも」
 ようやく圓太郎にも事の重大性がおぼろげなりに感じられてきて、欄間の上から頭を下げた。
「私にあやまってどうなります。ことによるとお手討だゾお前は」
 情なさそうに圓朝は言った。
「…………」
 が、そう聞かされても圓太郎は顔色ひとつ変えなかった。キョトンと首を傾げているばかりだった。
「冗談じゃねえ、お前お手討だよ」
 圓朝はまたおしかぶせて言った。
「そうですか、お手討ですか、エエ、よござんすとも」
 ますます彼は落ちつきはらっていた。
「アレ、この野郎お手討を平気でいやがる」
 あきれたように圓朝は、
「圓太郎、お前いったいお手討ってなんだか知っているのか」
「…………」
 言下に彼は首を左右に振ってみせた。
「アレだ。よく聞いとけよ。お手討てのはナ、新身の一刀試し斬り。お前の首と胴とが生き別れになるンだぜ」
 世にもおそろしい顔つきで圓朝に言われた途端、
「エ。私の首と胴とが離れる? ソソソそれは。ヒ、人殺し――」
 悲鳴をあげた圓太郎は立ちのまま全身を硬ばらせ、白眼をむき出して両手を差し上げたからたまらない。ガラガラガラガラン、バリバリドタドタドタドタンピシーン。仰向けざまに彼の身体は芝居噺の美しい道具の中へ落っこちてきて、そこらじゅう、滅茶滅茶になってしまった。
「あやまッといてくださいよ師匠、ごめんなさい、ごめんなさいよウ」
 こんなことを言いながら慌てて起き上がった圓太郎は、脱兎のように駆け出していってしまった。


  その晩
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