迫っていよいよお客はおかしがらずにはいられなかった。
……やがて花の山へかかってきた。番茶の酒盛――“お茶《さ》か盛”がはじまったい。発案者たる大家さんはひとりで気分を出して悦に入るが、長屋の衆はアルコール分がないから滅入るばかりだ。第一、ダブダブの茶腹には、春の日の風が冷たかった。ますます御恐悦の大家さんは一句詠めとおっしゃるけれど、ダ、誰がおかしくって。それでもやっとこさ誰かの一句詠んだのが、「長屋中、歯をくいしばる花見かな」。
ウヘッ、これじゃア詠まないほうがいい。そのなんともいえない馬鹿馬鹿しいなかに江戸っ子らしいやせ我慢なところが無類で、ここも圓太郎は上出来だった。お客は抱腹絶倒した。
……トド今月の月番先生、お茶ケに酔っぱらったつもりでクダを巻くので、よろこんだ大家さん、だいぶ御機嫌らしいがどんな気分だえと訊ねると、
「なにしろお腹ンなかはお茶でダブダブでしょう。大家さんの前だけれど、この前、井戸へ落っこちたときにそッくりでさア」
「…………」
ボソッと圓太郎が頭を下げて、オチといっしょに立ち上がったとき、ワーッと満座は最後の歓声を上げた。拍手と笑い声とでしばし鳴りも止まず、いつまでもいつまでもお客は笑いどよめいていた。その笑い声に送られて、ノソノソ圓太郎は楽屋へ下りてきた。が、やっぱり今の長屋の月番先生みたいなまぬけまぬけした姿の彼であることに変わりはなかった。
「アア、いい春だった今夜は」
前座の汲んで出したお茶を飲もうともせず、圓太郎は出を待っていた音曲師の勝次郎のほうを向いていった。
「よせやい圓太郎。今日はお前、十二月の二十日じゃねえか。なにがいい春だイ」
あきれて横にいた色の黒い長い顔の古今亭今輔が言った。
「春じゃアねえか」
圓太郎は自信たッぷりの顔つきをした。
「どうしてよ」
今輔が訊き返した。
「どうしてッてお前、理屈じゃアねえやな、陽気なんてものは。暦に出てるンだよチャンと暦に。十月から四月まではみんな春だとよ。してみりゃア今夜いい春だアな」
言い終えて、ケロリとしている。
「こいつァいいや」
「とんだ大笑えだ」
今輔も勝次郎も、見習いの前座までが思わず釣り込まれて笑い出してしまった。ドッという笑い声が、今度は楽屋から寄席へと響いていった。
元日の盆提灯
「いつまでそんなところに立ってねえで座ったらどうだ
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