になる。このときいっしょにかえる新吉が「蝋燭が無けりゃ三ツばかりつないで」というのだが、三つつないだ短い蝋燭の灯の、おもっただけでもトボンと青黄色くうすら寂しい限りではあることよ。
 ところが駕籠を担ぎだすとたん、七軒町から駈け付けてくる長屋の者あって、無惨な豊志賀の死を告げる。愕いて駕籠のタレをめくると、中に豊志賀の姿はもうない。煙に捲かれたような顔をしてかえっていく駕籠屋のあと、今更のようにぞっとした新吉と勘蔵とが迎えの者と七軒町へかえっていくと、遺書がある。曰く「この後女房を持てば七人まではきっと取り殺すからそう思え」。
 伯父のところへやってきたときの豊志賀があまりにも殊勝らしいことばかりいっているだけ、いっときはあとのこの手紙の、身の毛もよだつもの、おぼえさせられるではないか。すなわち圓朝の幻術といった所以である。
「累ヶ淵」はまだまだ長い。冒頭述べたごとくここから新吉お久を連れて羽生村へ。だがやはり豊志賀の幻影に禍されて、お久を鬼怒川堤で殺してしまう顛末から、次第に新吉、身も心もうらぶれ果てて半やくざ同様となり、破戸漢土手の甚蔵を殺害するまで、決して詰まらない作品とはいえない。描写、会話、運びの巧さにおいても優に十箇所以上を採り上げて示すことができる。しかも「乳房榎」の場合と同じく「累ヶ淵」もまた最も鑑賞すべきは、江戸|歳晩《さいばん》風景の如実なる宗悦殺しに端を発し、凄艶豊志賀の狂い死にまでにあるとこれまた、点を辛くして高唱したい。
 挿話(?)として新吉の兄新五郎、同じく因果同士の豊志賀の妹お園とめぐりあい、うっかりお園のいのち[#「のち」に傍点]を終らせてしまうくだりや、のち[#「のち」に傍点]悪事を働き獄門台上にある新五郎の首が新吉の夢枕にあらわれるくだりなど、ここも因果ひといろで塗り潰されていながらしかし決して不自然ではなく運ばれている。もし『圓朝全集』第一巻「真景累ヶ淵」を通読されること以外に親しくその辺の口演に接したいといわれる方あらば、現、蝶花楼馬楽が引き抜き道具立の正本芝居噺によって味わわれたいといっておこう。馬楽は圓朝直門の、今は亡き三遊亭一朝老人から、手をとって教えられているのである。
 最後に結末ちかき力士花車登場以後の、大圓朝らしからぬ冗長至極の物語の構成に関しては、あえて私はこういいたい。あまりにも連夜の評判また評判が、自動他
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