)桜が一面に咲いて居る所へ虎が威勢よく飛んで居る所を、彩色でこう立派に描いて下せえな」というのが大へん可笑しい。桜に虎などはいかにも田舎者らしくわけ[#「わけ」に傍点]が分らなくて、ギャグとしてもまた斬新である。しかもこのギャグで茂左衛門の人柄をよろしく見せておき、のち[#「のち」に傍点]に寺でこの男がつきっ切りでへんな画題ばかり註文するゆえ、彩色は後廻しにてまず天井の墨絵の龍から描く、それが素晴らしい怪談を生むに至るとこういう段取りになるのだから、効果は一石三鳥といっていい。毎時ながら圓朝の用意のほどに降参してしまわないわけにはゆかない。このお客へ重信が「只今何か……冷麦を然う申し付けたと申すから、まあよい……では、一寸泡盛でも……」というのも冷麦、泡盛といかにも夏らしい対照《とりあわせ》でいい。かつて神田伯龍は「吉原百人斬」の吉原|田甫《たんぼ》、宝生栄之丞住居において栄之丞をして、盛夏、訪れてきた幇間阿波太夫に青桃と冷やし焼酎を与えしめた。これまた、真夏の食べものとしては絶妙と、私は頗《すこぶ》る感嘆これを久しゅうしたことがあったが、すべてこうしたほんのちょっとした小道具のひとつひとつの用意にかえってクッキリと全体の詩情がかもしだされること少なくないことを、我々はようくおぼえておかねばならない。
おきせにいい寄る磯貝浪江の術策はまず虚病をつかって玄関へ打ち倒れるのであるが、それを葛飾住居の烈しい蚊のためまさかにその辺へ寝かしもおけず、奥へ蚊帳吊って憩《やす》ませる、これがずるずるその晩泊り込んでしまう手だてとはなるのである。かつて私も葛飾住居の経験があるけれど本所に蚊がなくなれば大晦日――あの辺り今日といえども四月から十一月まで蚊帳の縁は離れない。宇野信夫君の『巷談宵宮雨』では深川はずれの虎鰒《とらふぐ》の多十住居で、蚊の烈しさに六代目の破戒坊主が手足をことごとく浴衣で覆ってしまう好演技を示した、つまりそれほどの蚊なのであるから、それを浪江とおきせの人生の一大変化へ応用せしめた腕前はまことに自然で賞めてよかろう。それからおきせにいい寄るくだりでも始めはおきせを斬るという、が、愕《おどろ》かない、そこで、では面目ないから手前が切腹するという、やはりどうぞ御勝手にと愕かない、最後に、ではこの真与太郎殿を殺すといわれ、初めておきせは顔面蒼白してしまう。さてそこまで
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