がこんな具合に列ねてある。なんだか、字づらをみつめてゐると、わかい日読んだ鏡花つくるの一齣のやうだ。
遠い明治の春のお彼岸――谷中の果ての菩提寺へ年寄に手をひかれていつたら、庫裏からつゞく茶畑にそつて、芝居にありさうな籔畳のかげには、風船あられの工場があつた。――スペンサーが東京開化の碧い空を飛んで以来、お成街道にでき上つた風船あられ屋の工場だと云ふ。
袋一ぱい購つてもらつた風船あられは、淡雪のやうに甘かつた。
――彼岸の陽ざしを追ふころになると、ぼくは「風船あられ」のあはれをおもふ……。
[#地から1字上げ](昭和十一年春)
梅若忌
梅若忌、三月十五日。
その季節のことを書けと云はれて、俄におもひ泛べられて来るかずかずをばメモのやうに書き付けて見る、ほんのなんの、取り止めもなく。
梅若丸の塚のあるお寺は、梅柳山木母寺。誰が命名《なづ》けけん、梅柳山とは。
哀れに美しきこの呼名かな。
川柳点には、
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三囲《みめぐり》のあたりからもうぶちのめし
[#ここで字下げ終わり]
また、
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梅若は旅陰間《たびかげま》にはいやと云ふ
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さらにさらに、
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梅若は十六日があはれなり
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よしや涙雨しげくふるとも、大念仏に群衆賑はふ忌日の十五日よりは、ハタと人影絶えつくしたその翌る日の景色こそ、と。思へばこの句意、殊に哀れ。
黙阿弥つくる「隈田川廓白浪」(すみだがはながれのしらなみ)。
「廓」を「ながれ」と訓ませたは、なんとしみじみと懐しき市井の詩人ではあつたことよ。
その芝居で見た桜餅屋の暖簾のいろ。
御飯をたべながらのあの立廻り
さてもさて、吉田の松若
竹屋の渡
だら/\と渡し場へ下りて行くなぞへ[#「なぞへ」に傍点]な阪のとつつき[#「とつつき」に傍点]に、曲つて折れさうに立つてゐた瓦斯燈ひとつ。
流れ灌頂の周りを泳ぐ都鳥
泉鏡花小史「義血侠血」。林伯猿が関東節にいで来る滝の白糸は、このあたり土手下の家で、恋ゆゑ人をころしたか。そのとき山谷堀の方にあたつて大きな火の手があがつてゐたつけ。
浪六の「当世五人男」。
汐入村の名のなつかしさよ。
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「直ぐと中の郷へ曲つて業平橋へ出ると、この辺はもう春と云つても汚い鱗葺の屋根の上に唯だ明るく日があたつてゐると云ふばかりで、沈滞した堀割の水が麗な青空の色を其のままに映してゐる曳舟通り。」
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永井先生が「すみだ川」の一節――。
宗十郎が云つた、昔、今戸に住んでゐた沢村宗十郎が。
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「お猪口一つ持つて行きさへすれば、墨堤十里、あつちでさゝれ、こつちでさゝれ、随分いい心持ちによつぱらつてお花見ができたものですよ、あなた」
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さてこそな、落語の「花見酒」。
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佃育ちの白魚さへも
花に浮かれてすみだ川
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この唄、たゞ美辞をつらねたものとばつかりおもつてゐたら、ほんたうについ明治の中ごろまでは花見舟で白魚を手掬《てずく》ひにする芸当もできたさうなとこれはこのあひだラジオでの伯鶴のはなし。
おしまひに昨夜、いい清元の談《はなし》を聞いて来た、「清心」と「三千歳」との清元の談を。
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「清心が十六夜にパッタリであふ、そのときすぐ十六夜ぢやないかとさう云つてしまつてはいけない。闇の夜の哀しさ、十六夜……とここで一と呼吸。
暫く闇に、相手を見据ゑて、ぢやないかと云ふ可きだらう。だが、ハッキリいとしいひとの声音にふれた十六夜の方は、言下に、いやその言葉の終るをさへ待たで、清心さまとすがり付く可し」
[#ここで字下げ終わり]
また、
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「入谷の寮のかの新造二人、一人はなか/\おちついてゐるをんなにて、いまの鳴子の音は雪のやうではないと云ふところしづかに喋れど、もう一人の方はただ気のいい許りのをんなとてではもしや直はんが……と思はず甲高声で云ひ、忽ち朋輩よりたしなめられる。ほんの端役のこの二人も、斯の如くちやんと性格はあるものぞかし」
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もうひとつまた、
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「その直侍が、新造の名を呼ぶ。千代春さんか、と。たしかに稽古本にはさう書いてあれど、千代春さんかと発音しては堅気になる。さんのさは「ら」と発音せよ。「千代春らんか」即ちこれにて随分鉄火なやくざものには聞ゆる可し」
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ](昭和十七年二、一五、大雪の日)
金魚売
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浅草橋
棚の藤咲きゐたりけ
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